「阪神の4番は、巨人より大変」

 2人がチームメイトとして過ごしたのは、掛布が引退する1988年までの9年間だった。

 1985年に圧倒的な打力で日本一に立ったチームの中心にいたのは、掛布、岡田、そしてバースを加えたクリーンアップだったことは間違いない。

「今ではすごいように語り継がれているけど、俺はめちゃくちゃ失敗もしてるし“大した4番じゃない”って自分では思ってんだよ。3回ホームラン王を取っただとか、日本一の4番だとかさ。周りからはとんでもない野球をやったと思われてんだろうけど、大した野球はやってないんだ。“普通の野球”をやっていただけなんだよ。だから、オカは俺をさらなる上へ導いてくれる存在だったと思う。彼が4番というものを意識させてくれたしね」

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 普通の野球――監督就任直後から岡田が何度も口にしていた言葉だ。彼らの言う普通の野球において、掛布自身が思う4番とはどういうものだったのか。

「俺は“試合を休まない”っていうことを4番として大切にしていたね。チームの負けというものを背負う……“負けた時は掛布の責任”というかね。オカはその辺りを、すごく感じてくれたのかもしれないね。俺が引退してオカがそういう立場になった時に、負けを背負うしんどさって結構凄いものがあったと思うしね。

 俺らの時代も4番が我慢した部分って多々あるけど、ちょっとわがままな部分もないとやれないところがあって。それがあるから、チームの負の部分を背負わなきゃいけないっていう自覚が生まれるというかね。まして、阪神の4番は巨人よりも大変かもしれないしね。巨人は強くて勝っているから(笑)」

©文藝春秋

 掛布は高卒3年目の1976年には初めて規定打席に到達し、打率.325、27本塁打、83打点をマーク。4年目には打率.331、翌年には32本塁打を記録した。1979年は主に3番打者として48本塁打を放ち自身初の本塁打王に輝いた。