「家にカミソリ入りの手紙が何通も……」ケガで味わった地獄

 翌1980年は開幕から4番に座ったが、好事魔多し。開幕から8試合目、4月18日の巨人戦で左膝を痛めてしまう。途中交代し、トレーナーに背負われ病院へ直行した。結局、開幕直後に負ったこの怪我の影響で70試合の出場にとどまり、打率.229、11本塁打、37打点と、レギュラー定着以降では、いずれも自己ワーストの成績に終わってしまった。すると掛布を取り巻く状況が一変した。

「膝の怪我をしてからは全員が敵に回ったからね。マスコミからファンから……。結婚したばっかりだった女房も攻撃されるし、家にはカミソリの刃が入った手紙が何通も来たよ。家の電話も鳴りやまねえし、車なんてぐちゃぐちゃにされちゃうし、マスコミは暴力的な記事ばっかりだったし……。今となっては感謝してるけど、当時はマスコミもファンも大嫌いだったね」

 オフにはあるスポーツ紙にトレード話まで報じられるほど追い込まれた。当時25歳。それまで順風満帆なプロ野球人生を歩んでいた掛布にとって初めての挫折であり、初めて味わう重圧と恐怖だった。周囲の人間に対して疑心暗鬼にまでなるほどの状況だったが、同時に4番としての在り方も自問自答するようになったという。

ADVERTISEMENT

「あの時、マスコミから逃げない、野球ファンから逃げない野球って何かって考えた時に、“ホームランを打つことじゃねえな”と思ったんだよ。“休まない”って答えにたどり着いたの。ゲームを休むっていうことは“逃げ”だな、とね」

 さらに続けた。

「俺にそういう4番像というか、“4番はこうでなければいけない”って教えてくれたのは田淵さんだったね」

最初から記事を読む そらそうに決まっとるか…「佐藤輝明」でも「森下翔太」でも、「田淵幸一」でも「金本知憲」でもない、岡田彰布が考える“虎の真の4番”「そら、やっぱり…」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。