今の倍賞千恵子が若者向け恋愛映画、しかも特攻隊と女子高生の恋愛映画の助演として出演する、というのは、普通に決まるキャスティングではない。松竹映画の歴史の象徴を出演させるということは、「松竹はこの続編を中途半端な作品にはしない」という宣言に等しいのだ。いわばチェスのクイーン、女王を若い兵士のために動かすような異例の布陣である。

 実際に、続編である『あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。』は、その布陣の意味を感じる映画になっていた。前作でこの世を去っていく特攻兵を演じた水上恒司、伊藤健太郎というスターに代わり、今作で主人公の少女と同じ時代を生きる同世代の青年を演じるのは細田佳央太。あえて水上恒司が演じた凛々しい特攻兵と正反対の優しい現代青年を相手役に配置することで、今も戦中に惹かれるヒロインの心を平和な時代の青年が現代に引き戻す、という、ラブストーリーの構造に戦中と戦後、一瞬の青春と長い人生を重ねた見事な脚本になっていた。

映画『あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。』公式Xアカウントより

 実はこの続編の脚本は、原作小説の『あの星が降る丘で』をかなりアレンジしてある。大きな流れは同じであるものの、続編で百合と出会う涼の年齢設定、そして倍賞千恵子演じる、戦中に出会った少女・千代と主人公が時を超えて再会するシークエンスは映画版独自の創作だ。前作で伊藤健太郎演じる特攻兵・石丸を空に見送った千代が、戦後に結ばれた青年・藤谷の地上戦の戦争後遺症から戦争の真実を知る場面は、藤谷を演じた井之脇海、そしてそれを追憶する倍賞千恵子の名演によって、「美しく鮮烈な特攻」のイメージを裏返すシーンになっている。

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作り手が向き合ったのは「前作に感動した若い女性観客たち」

 重要なことは、続編で加えられたそうしたシーンが「前作の否定」にはなっていないことである。福原遥が演じるヒロインの百合の心の中には今でも初恋の特攻兵の面影が生きているし、彼に憧れる気持ちは消えないままだ。映画は百合の恋、そして前作に心を奪われた若い観客たちの言葉にできない感情を否定せず、その上で平和な戦後の中にヒロインが新しい愛を見つけていく姿を描く。

 おそらく今回の続編に対しても、左右双方から政治的な批判は起きうると思う。だが映画を見る限り、作り手たちはそうした批判を恐れて「叩かれない作品」に仕上げることよりも、前作に強く引き付けられた若い女性の観客たちに向き合い、映画人として何を伝えるかということを優先しているように見えた。

 映画の中盤すぎ、倍賞千恵子演じる老いた千代が、百合に対して、「自分も戦中に見た特攻隊の青年・石丸への思いが捨てられずにいる。だがそれでも傷つきながら生きる人間を愛して生きてきたのだ」と語りかける場面は、恋愛映画を超えて戦中の恋と戦後の愛をめぐる人生の寓話、戦後を肯定するメッセージになっていた。

映画『あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。』公式Xアカウントより

 百合の中に残る特攻隊員への憧れを否定せず、その上で現代を肯定するそのシーンは、2015年に高畑勲や山田洋次の呼びかけに応じて安保法制に異議を唱えた倍賞千恵子の信念からすれば、驚くような場面と言えるかもしれない。だが、この映画で松竹映画のスタッフや倍賞千恵子たちが選んだのは、若い観客に頭ごなしに自分たちの思想を押し付けることではなく、前作に涙した「数百万人の少女たち」と向き合い、映画人として対話することだったのではないか。

 前作公開時、主人公を演じる福原遥が映画の内容について語る言葉はいつも注意深く、抑制されていた。前作のパンフレットで彼女は「最後に飛び立っていく彰に向って、最初の脚本では百合が『逃げて』というシーンがあったんですが、それを言うのは百合にも彰にもあまりにつらいことなので、そのセリフはなしでちゃんと見送ろうというふうに変更になったりもしました」と語っているのだが、削除されたそのセリフに言及するのは、彼女が映画の内容に悩み続けていることの証であるように思える。