今回の続編に出演した倍賞千恵子は、福原遥に語りかける演技を通して、その向こうにいる現代の少女たちに語りかけ、その上で戦後という現代を肯定する道を示しているように見えた。
80代に入った倍賞千恵子の出演作では、一作ごとに若手俳優に何かを伝え残すようなシーンがフィルムの中に刻まれている。『Arc アーク』で生と死をめぐる物語を演じた芳根京子、『PLAN75』で安楽死制度のオペレーターとして対話した河合優実、『TOKYOタクシー』で東京の歴史を回顧した木村拓哉に続き、今作でそのバトンを渡す相手に選ばれたのは福原遥だった。もともと高い演技力を持つ若手女優だったが、今作では倍賞千恵子ら共演者に背中を押されるように、前作にもまして力強い演技を見せている。
商業映画を作るとは、大衆の無意識という怪物と向き合うこと
実はこの戦中と戦後、特攻隊をめぐるモチーフは、『ハウルの動く城』で倍賞千恵子をヒロインに起用した宮崎駿の2013年の作品『風立ちぬ』から、その返歌ともいえる『君たちはどう生きるか』に通じるテーマを持っている。悪魔的なまでに美しいゼロ戦の機体、そして戦中という時代の魔力に惹きつけられつつ、苦く傷だらけの戦後を生きていく2つの作品は、宮崎駿が自分の無意識に問いかけ、そして見つけ出した答えだ。
商業映画を作ることは、政治の右でも左でもなく、まして映画評論家の評価でもなく、大衆の無意識という怪物と向き合うことだ。45億という、誰にも分析できない原因不明の巨大なヒットを記録した映画の続編に出演した倍賞千恵子は、その危険で獰猛な無意識と向き合う決意を固めていたのではないか。
この映画の舞台挨拶で「実写の映画がアニメに負けている」と倍賞千恵子が語ったことがあった。『ハウルの動く城』をはじめ新海誠の『天気の子』、『ジャングル大帝』、そして松竹の『機動戦士ガンダム』記念すべき1作目にも出演してきた倍賞千恵子は、もちろんアニメ文化への敬意を十分に持っている。その言葉は、「アニメ映画がそうしているように、我々はこの時代の大衆の無意識に向き合って映画を作れているか」という問いかけであったように思える。そしてこの続編は、松竹という歴史ある映画会社によるその問いへの答えになっていると思うのだ。
歴史のある映画会社は、自分たちが何者であるのか、誰のために映画を作るのかというアイデンティティを持っている。かつて『機動戦士ガンダム』の映画で社会現象を起こした松竹アニメは『劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』、『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ キルケーの魔女』、『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』、『アイの歌声を聴かせて』など、今も松竹にしか作れないアイデンティティを感じる作品を送り出している。
下町の太陽、とかつて人々は倍賞千恵子を出演作にちなんで呼んだ。大衆映画は何よりもまず、下町で生きる無名の人々の無意識、本音に向き合わなくてはならない。そこを否定して知識人の思想を押し付けるだけでは、映画は大衆文化たりえなくなっていく。だが同時にスクリーンの中には、下町の暗闇を照らし、人々が見上げる太陽のような理想の光がなくてはならない。年間2本の公開という『男はつらいよ』シリーズの撮影スケジュールに女優人生の多くを捧げ、さくらを演じ続けることに悩んだこともあると自伝で明かす倍賞千恵子は、その「下町と太陽」の両立が映画文化であることをよく知っているのではないか。
(ネタバレになるが)今回の続編『あの星が降る丘で』のクライマックスで、百合と同世代の青年、涼は「これからは僕が守るよ、百合を」と誓う。だが百合はそれに対して「守ってくれなくていい。ただ一緒にいるだけでいい。私たちはそういう世界に生きているんだから」と答える。それは戦中の恋から戦後の愛への変化を肯定するという、続編による前作へのメッセージだ。現時点で続編は好調にヒットしている。前作ほどの興行成績には及ばないかもしれない。だが数百万人の少女たちの何人かは、倍賞千恵子演じる千代が主人公に語りかけた、戦中への恋をのりこえる戦後の愛を見つけてくれるかもしれない。この続編は、作られることで前作に新しい意味を与える、美しい「下の句」になっていたと思う。
あと何作、倍賞千恵子と松竹は美しい映画を残してくれるのだろうか。9月22日には東京オペラシティで芸能生活65周年記念のコンサートも予定されている。歌唱力も演技力も、80代半ばにして陰りを見せる様子はまったくない。日本映画史にいくつもの名作を残してきた下町の太陽は、まだ西の空に明るく輝き続けている。

