「なっち=センター」というイメージ
初期のモーニング娘。についてあとから振り返ったとき、安倍はモーニング娘。の「センター」だったと語られがちで、本人もインタビューなどで当時の自分のポジションをそう表現することが多い。ただ、つんく♂は当時、安倍に対してセンターという表現でその場所を固定したくなかったという(前掲、『モーニング娘。20周年記念オフィシャルブック』)。一方で『ASAYAN』では彼女について「マザーシップ」という表現が使われていた。
いずれにせよ、安倍はその後もほとんどのシングルでメインに起用され、モーニング娘。の人気が高まるにともない、「なっち」の愛称で慕われる彼女がグループの顔としてファンのみならず世の中でも認知されていった。
もともと1期のメンバーは、安倍も含めてみんな自分がソロのボーカリストになりたくてオーディションを受けただけに、安倍としては《だから、やっぱ気をつかいましたね。でも、気を使うといっても、どうやっていいか全然わからなくて》と悩んだりもした(能地祐子『モーニング娘。×つんく♂』ソニー・マガジンズ、2002年)。それもつんく♂に相談するうち、だんだんわかるようになっていったという。
メインボーカルで感じたプレッシャー
安倍はその立場から、とかく対決の構図をつくられがちだった。とくに彼女が単独でボーカルを務めた6thシングル「ふるさと」(1999年)では、『ASAYAN』の企画で、同日に発売された鈴木あみ(現・亜美)の「BE TOGETHER」とオリコンのシングルチャートでランキングを競い合うことになり、プレッシャーがのしかかった。当時の心境を安倍はのちにこう吐露している。
《番組や雑誌で取材受けるでしょ? 「いやぁ、負けられませんねぇ」とか「ライバルですねぇ」とか言われて、とりあえず、「ハイ」とかなんとかそれなりの答えは返していたんだけど。/ほんとのココロのうちでは、そこまで対決とか……前面に出て、「よっしゃ!」って胸張って張り合えるほど自信のあるなっちはいなかったわけなんだよ。/もう毎日の自分を保つのに、せいいっぱいせいいっぱいで》(安倍なつみ『ALBUM 1998-2003』ワニブックス、2003年)
さらにメディアが対決を煽れば煽るほど、世間ではそう見られているのかと、ますます自信がなくなっていったという。勝負の結果も、チャート初登場で鈴木が1位で、モーニング娘。は5位と敗北を喫し、安倍のなかには悔しさだけが残った。
