《コンサートのときもMCも曲目もある程度決められたなかでやっていて、そのうちに本当に自分の思った感情とか気持ちをどこかに置き忘れてしまったような気がして…あるときからすごくつらくなってしまったんです。ずっとアイドルだと思っていなかったのでなおさらそれが強かったんですよね》(『FLASH』2007年8月21・28日号)
所属する会社(アップフロントエージェンシー=現・アップフロントプロモーション)には常々、自分はいつソロになれるのかと訊いていたが、なかなか色よい返事はもらえなかった。もっとも、つんく♂は後藤真希が2002年に卒業したあたりから、安倍には「ずっとグループにいると居心地がどんどんよくなるから早く卒業したほうがいい」と言っていたという。
会社から卒業を提案され…
それがあるとき、突如として会社のほうから卒業を提案される。このとき安倍のなかで最初に頭をよぎったのは、メンバーの顔だった。すでにそれまでに多くのメンバーの卒業を見送ってきて、その悲しさや、それを自分なりに飲み込んでいく感じなどをわかりすぎていただけに、自分が卒業を発表したらみんなどんな顔をするだろうと考えてしまったのだ。
卒業を発表したのは2003年7月、その翌月にはソロ1stシングル「22歳の私」をリリースし、翌2004年1月の卒業コンサートまでカウントダウンしながら念願のソロ活動を開始した。
「ね、なっち覚えてる?」横浜アリーナでの6年越しの約束
卒業コンサートは横浜アリーナで開催された。このとき飯田圭織は次のように安倍に語りかけたという。
《ね、なっち覚えてる? デビューするときに“ビッグなアーティストになろうね”って。横浜アリーナをいっぱいにできるようになろうねって…ほら、いっぱいだよ…》(『FLASH』前掲号)
横浜アリーナは、その6年前にメジャーデビュー曲「モーニングコーヒー」の発売記念イベントを開き、先述したように期待したほど客が集まらなかった因縁の場所だった。あのとき悔しさを味わった現役メンバーもこの時点で安倍と飯田だけになっていた。モーニング娘。は悔しさをバネに成長を遂げ、6年前に誓ったとおり満員にした会場をあとに、安倍は新たな道へと進み始めたのである。(つづく)
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