右翼が襲撃、血まみれの『噂眞』編集部に駆けつけた
中森 2000年6月、民族派右翼・日本青年社の活動家2人が『噂眞』編集部を訪れ、激昂した活動家が岡留さんと居合わせたスタッフを襲撃する事件が起きました。記事の中で雅子妃のことを「雅子」と呼び捨てにしたことが理由です。
ニュース速報で『噂眞』編集部が襲撃されたことを知った僕は、矢も盾もたまらずワッ! と編集部に駆けつけました。そのとき岡留さんは病院に行っていて、副編集長の川端が編集部にいた。編集部は血まみれなわけですよ。
岡留さんは額をケガして、太ももからは大出血しちゃった。川端は肋骨が折れたんだったかな。池林房(新宿3丁目の居酒屋)で待っていたら、岡留さんが包帯を巻いてやってきた。いかにも「名誉の負傷」「凱旋」ってなもんです。
佐高 大ケガを負ってひどい目に遭ってるのに、そこから酒を飲み始めたわけですか。そんなときに酒を飲んだら血の巡りが良くなりすぎて、負傷した箇所が腫れて炎症がひどくなったりするのにねえ。
中森 「すげえなあ」と思って唖然としていたら、朝まで飲み明かして「今日は出血大サービスだ」なんて言って奢ってくれちゃった。新聞が出る時間になったら、誰かがどこかから朝刊を買ってきて「うわっ、出てる出てる」と喜んでる。僕から言わせると、あんなにひどい目に遭って平気な顔をしている岡留さんは勇敢なんかじゃない。鈍感なんですよ。
ちなみに血まみれの編集部には、僕以外にも康芳夫さん(怪人プロデューサー)と高取英(劇作家)の2人も編集部に駆けつけました。2人とも、もう死んじゃいましたけどね。康さんと高取が「岡留安則を励ます会をやろう」と言って、リステル新宿というホテルで後日「励ます会」をやったんですよ。岡留さんはそういうのが大嫌いなはずなんだけど、それでも僕らは「励ます会」を断行した。
田原総一朗さんが偉いと思ったのは、田原さんはそれまで『噂眞』でボロクソに悪口を書かれてきたのに、いち早く「励ます会」に馳せ参じて、いつもの調子で大演説をブツわけです。猪瀬さんのことも待ってたのに、猪瀬さんは来なかった。
佐高 田原さんは言論の自由への一念だけはすごい。他の編集部員はどんな感じでしたか?
