仙台名物「牛たん」を全国区にした立役者・大川原要。実は彼には、戦時中に零戦パイロットだったという知られざる過去があった。学徒出陣による過酷な運命、父親との名字の違い、そして「牛たん」誕生の裏に秘められたもう一つのドラマとは?
ジャーナリストの神立尚紀氏の新刊『ドキュメント 軍人たちの戦後』(小学館)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)
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戦争中は零戦搭乗員だった「牛たんの仕掛け人」
牛たんといえば、仙台名物として知られる。2025(令和7)年6月20日、NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」で、「牛たんが仙台名物になったのはなぜ?」というお題が出された。
その答えは、「牛たんが仙台名物なのは佐野さんが作った牛たん焼きを大川原さんが『仙台名物だ』と言い切ったから」。
固くて何日も煮込む必要があり、日本では廃棄されることが多くあまり食用に使われてこなかった牛たんを、戦後、佐野啓四郎が薄切りにして、表面に切れ目を入れ、塩を振って熟成させることで柔らかく焼ける方法を思いつき、牛たんの店「太助」を始めた。続いてデパートの営業を経て1975(昭和50)年に「牛たん㐂助(きすけ)」を創業した大川原要が、東北新幹線開業後に「仙台名物」と銘打ったことで、いまや名実ともに仙台名物になっているのだという。意外に新しい「名物」なのだ。
じつは私は、晩年の大川原と何度か会ったことがあり、よく知っている。会って話を聞いたのは店ではなく、谷田部海軍航空隊の慰霊祭、戦友会など。大川原は戦争中、文科系学生の徴兵猶予廃止にともない海軍に召集された、いわゆる「学徒出陣」組の、海軍飛行専修予備学生十四期出身の元零戦搭乗員だったのだ。
そこでここでは、牛たんを仙台名物にする前、つまり「チコちゃんに叱られる!」では触れられなかった大川原の人生を紹介しようと思う。



