「元気いっぱいの目立ちたがり屋」小田原で生まれ、わんぱくだった子ども時代

――1975年生まれですが、出身地はどちらに。

斎藤 神奈川県小田原市です。生まれてから、経済的に厳しい家庭も多いエリアの団地に住んでいました。生まれ育った場所がそんな感じですから、子供の頃はそういうところに住んでいることをまったく気にはしてませんでしたね。

――どんな家庭でした?

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斎藤 うちの母は、夜はキャバレー、昼はゴルフのキャディ。父は道路公団に勤めていて、高速道路の料金所に詰めていました。小学校5年生くらいまでは実の父だと思ってたんですけど、育ての親だったんですよ。

 でも、僕をすごく大事に育ててくれましたね。今年の1月21日に亡くなったんですけど、血は繋がっていなかったものの、本当の父親だなと思っています。

 母は昼も夜も働いていたし、父は料金所で夜も出るから、いわゆる鍵っ子でしたね。幼稚園はさすがに朝は親が送ってくれましたけど、小学校からはいつでも鍵を持ち歩いて。

 それでも幼稚園の頃から寂しさを感じたことはなかったし、「なんでうちの親は帰ってくるのが遅いのかな」なんて考えていなかったですね。母からは「いつも遅くまで頑張って働いてるんだから、お利口さんにして待ってるんだよ」みたいなことを言われていた覚えがあります。

――どんな子供でした?

斎藤 一言で言えばわんぱくでしたね。もう元気いっぱいの目立ちたがり屋で、なにかをやるたびにリーダーシップを取っていた気がします。団地の子たちもみんな仲良しでしたしね。

 小学校に入ってからもそんな感じで、小1の時に先生から「あんたはトッポいからトッポちゃんだ」と言われて、「トッポちゃん、トッポちゃん」って呼ばれてたんですけど、いつの間にかトッピに変わってましたね。もう学校の先生たちからもクラスのみんなからも「トッピ、トッピ」でしたね。親からは「よっちゃん」でしたけど。

 

同級生の親からは「遊んじゃダメだ」と言われていた

――人気者だったのでは。

斎藤 いやいや、目立ちすぎちゃって。逆に同級生の親には、「遊んじゃダメだ」ってよく言われてましたね。

 当時はなんでそんなことを言われるのか不思議でしたけど、いま振り返れば夜に一人で出歩いているような子だったからでしょうね。小1、小2で夜に出歩いているのを、近所のお母さんたちが見ていて。そりゃ「なんなの、あの子は」ってなりますよ。

 あと、うちは借金で火だるまでしたけど、それでも母は僕が一人で過ごしているからって毎日500円くらいお小遣いをくれていたんです。それで自分のご飯やおやつを買いなさいって。

 小1、小2なんて、月のお小遣いが500円ほどでしょう。それを僕は毎日もらってたわけですから。そういうのも、奇異の目で見られていたところはあったんじゃないですかね。