――そうなったらもう、ヤンキーの道に進むしかない。

斎藤 不良に好奇心を持っちゃいましたね。中学生になると学ランになるじゃないですか。そうすると『ビー・バップ』のヒロシとトオルよろしく、やっぱり短ラン、中ランとかになるわけです。

 僕は背が低かったんで、短ランが好きだったんですよ。だからすぐに短ラン、ボンタンを買って。カラーもめちゃくちゃ細いやつで。といっても2万円、3万円するから、勝手に親の金を使って。裏ボタンとか欲しくなっても自分で買えないときは、もうカツアゲですよね。

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「高校に行ってない方々と遊ぶように」中学卒業後、暴走族になった経緯

――入学早々、先輩から呼び出しを食らいそうですよね。

斎藤 入学式の後にすぐ来ましたよ。「お前、ちょっと来いよ」「お前、なんだそのズボンはよ」なんて言われたけど、やられはしなかったですね。他の小学校から上がってきたワルたちとも仲良しになりましたし。

 だけど、クラスでは孤立しちゃいましたね。中学になったら、受験もあるし、そのための勉強もしなきゃいけないのに、僕はやりたい放題で受験勉強ってものにまったく手をつけなかったんで。どんどんどんどん皆と離れていってしまって。

 それに「こいつと付き合ったらマズい」っていうのもあったでしょうね。もうズバ抜けちゃってたんで、悪さが。職員室に呼ばれては、「学校に来るなら真面目な格好で来てほしい」って言われてましたから。

 僕、中学2年生で保護観察処分がついてしまったんですよ。無免許で運転して2回捕まって。で、暴走族の先輩たち、高校に行ってない方々と遊ぶようになって、暴走族に憧れて暴走族になりました。

――小田原でも有名な暴走族だったんですか。

斎藤 僕がいた暴走族は、熱海が総本部なんですけど。で、暴走族からそのままヤクザになる人たちが多かったんですよ。

暴走族時代の斎藤由則さん(本人提供)

「もうこれ以上やるなよ」家に来た警察とご飯を食べることも

――中高一貫校みたいな。

斎藤 もう、暴走族やったら次はヤクザねって人たちばかりで。「トッピ、一緒にやらないか」ってノリで誘われました。

 当時はほんと、楽しかったですね。走るというより、その人たちと一緒に遊んでることが楽しかった。結局、類は友を呼ぶんですよね。話が合う人たちと一緒にいると面白いじゃないですか。それと同じですよ。