バイクは最初の頃は盗んでたけど、後に先輩から安く譲ってもらいました。ヤマハのRZに乗ったり、ホンダのCBXやフォア(CB400)にも乗りましたけど、CB250T、CB400Tに一番乗りましたね。

――警察に追いかけられても怖くないもんですか。

斎藤 最初のうちは、警察が「ウー」なんて追いかけてきたら焦りますよ。でも「どうやって逃げようか」って考えながら走っているうちに遊びになっちゃうんですよ。で、警察と一緒に走っちゃうんです。しまいには、僕んちに警察が遊びに来てましたから。

ADVERTISEMENT

――小学生の頃は借金取りが家に来てたけど、今度は警察が。

斎藤 「もうこれ以上やるなよ」って言いに来るんですけど、なぜかそのまま一緒にご飯を食べたりしてましたね。僕も交番に行って「金貸してくれ」なんて言ったことがありました。貸してくれなかったけど、ご飯を食べさせてくれた憶えがありますね。

 

「少年院に行かせて真面目にさせてください」18歳で“少年院暮らし”になった理由

――バイクで走ってるだけではなかったわけですよね。

斎藤 敵対チームがいますから。昔はグーで殴ってたのが、暴走族になると金属バットを振り回すようになって。カツアゲもそれまでは1万円、2万円だったのが、上の人間に渡さなきゃいけないので、10万円、20万円になってくる。そうなると、どうやって集めるのかを考えるわけです。

 カンパを募っても、みんな逃げちゃう。で、パチンコ屋に行って大当たりした玉を取って流したりしてたら、先輩から「おもしろい金儲けがあるよ」って聞かされて。それが車上荒らしで。小田原は観光地で、そういう狙い目のスポットがあったんです。

 当時はクレジットカードもあったけど、現金主義じゃないですか。それに加えて日本特有の緩さがあるから、みんな車に現金を置いとくんですよ。

 ボスに渡すと、その残りで健康ランドに泊まったり、キャバクラに行ったり。で、後輩も引き連れて「トッピさん、トッピさん」なんて言われて頭を下げられると嬉しくなって、また悪さをするんです。要はプライドを下げられなくなってくるんですよね。

暴走族時代の斎藤由則さん(本人提供)

――やめられなくなってしまった。

斎藤 で、車上荒らしで鑑別所に行くんです。18歳のときですね。横浜家庭裁判所の小田原支部で審判が開かれて、裁判官が母に「お母さんは、今後、息子さんを観察して生活していきますか?」と聞いたんですよ。

 こっちは「はい」と答えて家に帰れるもんだと思ってたら、母は「少年院に行かせて真面目にさせてください」と答えて。「中等少年院一般短期に処する」となって、約半年の少年院暮らしです。

「この母親、俺のこと子どもだと思ってねえんだろうな」と思いましたね。

撮影=志水隆/文藝春秋

次の記事に続く 「結婚式でボコボコにされ、山中で袋叩き」暴力団を勝手に辞めた結果…“44歳で慶應大合格”の元ヤクザ(51)が語る、壮絶すぎるヤクザ時代

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。