2000年代に人気グラビアアイドルとして活躍した瀬戸早妃さん(41)。俳優としても『花より男子』『水戸黄門』(ともにTBS系)などに出演していた。

 両親が教師で、自身も勉強ができたという彼女は、なぜグラビアの道に進むことになったのか。グラビアの名物社長による厳しい管理、「全部楽しかったけど、全部辛かった」と振り返る当時の状況について聞いた。(全4回の1回目/2回目につづく)

瀬戸早妃さん ©杉山秀樹/文藝春秋

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「中学までは、ほぼずっと成績が学年で一番でした」

――瀬戸さんは宮城・仙台出身ですね。小さい頃はどんな子でしたか。

瀬戸早妃さん(以下、瀬戸) 自分のことを「ぼくちゃん」とか「ぼっくん」とか呼んでました。母が私の髪を結うのが好きで、髪を伸ばしてたんです。母が買ってきた新しい髪留めを私が喜ぶと、嬉しそうにする母の姿が大好きでした。

  でも、小学校3年生の時に、自分で髪の毛をバッサリ切ってしまったんです。兄が2人いるんですけど、母の理想の可愛いフリフリの服を着るよりも、兄のお下がりのトレーナーやジーンズを着ている方が自分らしいと思っていました。

――ご両親はともに教師だと聞きました。お兄さん2人も優秀なんですよね。

瀬戸 父は塾を立ち上げて塾長をしていました。母は、現在も小学校の教諭です。

 兄は早稲田大と東北大です。両親が教師なので、大学に行くのは当たり前とは言われていました。あと「下手な大学に行って、塾の看板に泥を塗るな」とか。

 そういう点では厳しいんですが、父が幼少期から勉強をゲーム感覚で教えてくれていたので、勉強は楽しいことで、クイズみたいな感覚でした。

――瀬戸さん自身は勉強はできたんでしょうか。

瀬戸 中学までは、ほぼずっと成績が学年で一番でした。ただ中学3年の春休みに芸能の世界に入って、そこからがもう大変でした。

 

竹下通りで同じ事務所から5回スカウトされる

――どうやって芸能の世界に飛び込んだんでしょうか。

瀬戸 中学3年の春休みに母と東京に遊びに行ったんです。そのタイミングで、竹下通りで、スカウトマンは別だったんですが、同じ事務所に5回スカウトされたんです。「インターアクト」という当時杏さゆりさんがいた事務所です。

 その頃は芸能界について本当に何も分かっていなくて。お話を聞いて、とりあえず1年間やってみようかと思って所属しました。それですぐ『週刊ヤングジャンプ』の制服コレクション2001でデビューしました。