――ずばり最高月収を教えてください。
茜羽 あくまで最大瞬間風速であることを重々ご理解いただきたいのですが、月1600万円だったことがありますね。
――驚きました。それは所属企業に残るのとは経済的に大きな違いがありますね。
茜羽 選手同士で「選んだスポーツが野球で、バドミントンと同じくらいのポジションだったとしたら、タワーマンションは買えたね」なんて話すこともよくありました。積み上げてきた努力に対して見返りは少ないスポーツだったと思います。
母に期待されて英才教育を受けた日々
――茜羽さんの場合、お母様の健秋さんは世界選手権でシングルス・ダブルスの両方で優勝した伝説的な選手ですよね。幼少期から期待も大きかったのでは。
茜羽 私の名前に「羽=シャトル」がついていることからもわかるように、母はバドミントンをやってほしいと思っていたようです。
母は中国の貧困地域に6人兄弟の末っ子として生まれた女性で、衛生的な食事もままならない環境だったと話を聞いています。
しかし彼女はラケット1本で成り上がりました。日本と違って、中国は才能のあるスポーツ選手に対して国をあげて投資するため、徐々に暮らし向きは良くなり、家族を豊かにしたようです。だから、母が私にかける熱量は相当なものでした。
――反発した時期もあったのではないでしょうか。
茜羽 小学校のときは、平日16時から23時まで体育館でずっと練習でした。土日は8時半から17時まで練習で、週に1日も休みはない状態です。学校が終わってすぐであれば少し遊べると思って友だちと約束しても、母が学校の前に車をつけていることがあって、急に遊べなくなることがありました。おかげで、あだ名は「ドタキャン女」でした。
嫌気が差して、学校のなかに隠れたこともありました。体育館の卓球台のところに身を隠したり、ロッカーのなかに隠れたり。でも母が学校にきて、放送室から先生にアナウンスされて出ていくハメになったり……。練習に行くのが苦痛だった時期はたしかにありますね。
一度、小4のときに路上で「練習に行きたくない」と駄々をこねて母に無理やり引きずられて殴られたりしているのを、通行人が通報したことがあります。そのときは警察官が駆けつけ、ちょっとした騒ぎになりました。
