アメリカの博士課程こそ文字通り「詰め込み式」だ! 5冊から100冊へのジャンプ
この話は、わたし自身が留学時代にリアルに実践したことの応用です。こんどは、ごく具体的なエピソードを紹介しましょう。
さんざん紹介している話なのですが、アメリカの人文系の博士課程では、博士論文を書くための資格を得るにあたって、試験があります。その試験内容は、3人の指導教員と相談して、まさしくリーディング・リストを作成し、すべてを読んだうえで、それらについて教員が出す要求に論文ならびに口頭で答えるというものです。
このリストは、各教員と30項目ずつ、合計100項目くらい選ぶのが普通です。ここで「項目」と書いているのは書籍だけでなく短い論文や資料なども含めるからなのですが、わたしはこの100冊を、書籍に絞っていました。
ところで、ちょっと脱線します。まず、このエピソードを紹介すると「100冊という途方もない冊数を読んだ」話として受け取ってしまうひとがけっこういる、ということを知りました。でも100冊というのは、あなたの身近な読書家も1年でこなしている量です。これは博士論文のための読書ですので、100冊というのは多くありません。
で、いま書いたことと矛盾するようでもありますが、これは「博士論文を書きはじめてもいいですよ」というGOサインを得るための試験にすぎません。その準備のために「まず」100冊を読むというのは、日本の大学教育と比較すると、かなり要求度が高いです。
日本の教育を「詰め込み」とイメージするひとも多いと思いますが、アメリカで学ぶと、それがまったくの見当違いであることがわかります。アメリカこそ、最初の2年で眠る暇もないほどの量を読まされ、つづいて上記のリーディング・リストを読み、そのあと執筆課程でさらに読んで、やっと博士論文に到達するという、まさしく量と詰め込みのシステムそのものです。それをあの広大な国土のあらゆる大学でやっているのですから、国家規模ではちょっと勝ち目がないと思います。
さて、脱線が長くなりました。まず、この100冊は3人の教員と選ぶので3分野に分かれているわけですが、わたしはこれをさらにいくつかのクラスタに分けており、そのうちのひとつは「トラウマ理論」でした。
トラウマは学術用語なのですが、これを聞いたことがない人はいないでしょう。ということはつまり、ものすごくさかんに研究されてきた概念だということです。ということは、勉強するのも大変です。
それはじっさいそうなのですが、しかし、ざっくりとトラウマ理論について「専門を手に入れる」には、いま振り返ると、やはり誇張なしに、重要な5冊ほど読めば見えてきます――ただし、きちんと関連づけができていればです。
じっさい、わたしが院生時代に書いた論文を集めた『ナラティヴの被害学』という本の参考文献表を見れば、ごくわずかな冊数の関連本が何度も手をかえ品をかえ出てくることがわかると思います。有機的な「網」という基礎を作れば、こうして無限に「応用」が効くようになります。
そしてもうひとつ、ここでのポイントは、この5冊はひとつのノードにすぎず、全体では100冊あったということです。わたしはこの100冊のレイヤーにも、「2000年以降にアメリカの大学出版から出た研究書」というテーマを設けていました。そして「トラウマ理論について」と同じように、わたしは「2000年以降のアメリカの大学出版からでた研究書」について語れることを持っている。
つまりここでは100冊というリストそのものが階層的に構造化されています。5冊程度のノードが束ねられて30冊になり、それがさらに3つ束ねられて100冊になっている。そのノード間を行ったり来たりしながら、わたしは喋ったり書いたりしているというわけです。
今回はその往復の方法のための回ではありません。あくまでも、この100冊の小宇宙のためには、まず5冊のノードを作ることから始めればよい、ということです。これをサボって「あれもこれも」と読む作業は、ぶっちゃけわたしに言わせれば、知識を編む作業よりもずっとラクです。インプットだけしていればいいのですから。
結局のところ「勉強」の成果は、わたしの言う知識網に有機的に組み込まれている書籍単位の知識がどれだけあるかで決まると言っても過言ではありません。緊密に張り巡らされた知の網の目は、読書量や知識量を凌駕する基盤になります。
まとめましょう。とにかくたくさん読めば良いと信じて頑張りながら「勉強が進む」感じを得られないひとは、知識を「手に入れる」ための作業を怠っている。それはインプットしたものを自分の言葉で関連づける作業であり、100冊読むよりも10冊を関連づけるほうが作業負荷としてはキツい。しかし、その「知識を編む」作業こそが、あなたに勉強の手応えと生産性をもたらす。
今回はそういうお話でした。
