練習量へのこだわりや厳しい「喝!」から、“昭和の精神論”の象徴として語られがちな張本勲。しかし、選手に向けた言葉を読み直すと、その印象だけでは捉え切れない観察眼が見えてくる。

 坂本勇人の足運びと歩幅、大谷翔平が踏み出した後に残す「間」、村上宗隆の下半身の安定……。そこには単なる努力の要求ではなく、打者が持つ力を安定して発揮するための、動作の細部への着眼があった。すべての発言が正しかったわけではない。それでも「精神論だけの人」では片づけられない理由を、具体的な指摘と選手たちの変化から読み解く。

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「古い」の一言では片づけられない観察眼

 張本勲と聞いて、厳しい「喝!」を思い浮かべる人は少なくないだろう。練習量を求め、選手の姿勢に注文をつける。その語り口から、精神論ばかりで現代の野球を理解していない、という印象を抱いた人もいるはずだ。

張本勲さん ©文藝春秋

 しかし、言葉への好き嫌いと、技術を見る目の確かさは分けて考えたい。数字を多用しない解説だからといって、そこで語られる内容まで非合理とは限らない。問うべきなのは、選手のどの動きを捉え、何を問題にしていたのかである。

坂本勇人に指摘していた「足の動き」と「歩幅」

 象徴的なのが、坂本勇人への打撃論である。張本は2019年7月8日公開の自身のコラムで、約2年前、歩幅を調整するために、坂本に足の上げ方を直接指導したと記している。当時の坂本には、上げた足をホームベースをまたぐように動かしてから踏み込む癖があり、張本はそこに省ける動きを見いだしていた。そして2019年の時点では、以前より足の動きが小さくなったと評価。そのうえで、好調時の坂本が力強く振れていた理由を、踏み込みの歩幅が広がり過ぎない点に求めている。

©文藝春秋

 張本の説明は具体的だ。足の動きが体と目線の上下動につながれば、球との距離感が変わり、変化球にも合わせにくくなる。つまり、問題にしていたのは派手な見た目ではなく、打つまでに調整しなければならない動きの多さだった。この見方に立てば、足の動きを小さくすることは、持ち味を消す作業ではない。自分のリズムを残しながら、タイミングを合わせる際の余分な負担を減らす作業と解釈できる。