真菜さんは常に最短距離を計算し、無駄な動きをしなかったという。信号待ちの時間次第では、難を逃れていた可能性がある。
警視庁は通報内容等から飯塚の車が暴走したと断定。飯塚は逮捕されなかったため、通常なら匿名報道となるが、技官のトップである「通商産業省(現経済産業省)工業技術院の元院長」だったことから、一部のメディアは実名で報じた。
父親を「逮捕してほしい」
警視庁には逮捕しないことについて「圧力を受けているのではないか」という憶測を含む抗議電話が3日間で600件ほどあった。
しかし、警視庁は刑事訴訟法に基づき、飯塚が重傷を負って入院中で証拠隠滅や逃亡の恐れがないことから、不逮捕を決断した。
大規模な事故だったため、捜査は警視庁交通捜査課が主導し、常時約40人の捜査員が従事した。異例なことに、警視庁と東京地検が初期からタッグを組み、裁判で禁錮7年(過失運転致死傷罪の法定刑の上限)を求刑することを最重要目標として掲げたという。それほど世論からのプレッシャーは大きかったのだ。
警視庁は直後から飯塚のアクセルとブレーキの踏み間違いを疑っていたが、飯塚は否定し「アクセルペダルが異常をきたし、車が暴走した」と頑なに主張し続けた。そこで警察は、飯塚を車に同乗させながら実況見分を4回行うなど徹底的に鑑定を行った。
捜査関係者は「一番辛かったのは松永さんだけど、飯塚の長男も本当にしんどかったと思う」と振り返る。当時、世間によるバッシングや殺害予告などの脅迫から家族を守るため、長男は父親を「逮捕してほしい」と伝えていたという。
父親の代理として矢面に立った長男は警察から証拠を提示された際、「完全に踏み間違いです。私が父親を説得します」と述べた。技術者でもある長男はのちに自ら解析した上で渾身の説得を試みたが、飯塚は「記憶にはない」と否定した。
