なんでも、源平合戦で平忠度を討ち取った岡部忠澄がこの一帯を治めるようになり、その子孫の尽力で建立されたお寺だとか。町中には他にもいくつもの寺社がある。吾野は、なかなか歴史のある町なのだ。

 お寺を横目に坂を下ると、道沿いに民家や古い商店が並ぶ川沿いの道に出る。東に歩いてゆくと、高麗川を渡る大きな橋が架かっていた。川の向こうには国道299号が通っており、大きなトラックが行き交う様子が見える。ただ、こちら側は車通りも人通りもほとんどない。

中世に建立されたと伝わる法光寺が右側に
駅の南側の山肌には法光寺のお墓が見えた

「昔は30軒以上の商店があった」

 橋を渡らずにそのまま歩いてゆくと、古くも立派な建物が目立つ町並に出た。その中には郵便局もあるから、古くからの吾野の中心地なのだろう。江戸と秩父を結んだ古い街道筋の吾野宿である。

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 江戸時代には10軒以上の宿屋があり、秩父と江戸を行き来する人たちで賑わった。また、この町を取り囲む山々は杉やヒノキの産地として名高く、「西川材」として知られていた。西川材は水運によって江戸まで運ばれており、吾野はその輸送拠点という役割も持っていたのだ。

旧道の入口には「吾野宿」の案内(写真右)があった
吾野宿。古い長屋作りの建物が並んでいる
対岸から見下ろした吾野宿

 そうした往時の活気は近代以降も続き、まだ西武秩父線が開業する以前の終着駅・吾野は、秩父方面に向かうバスが発着する観光結節点にもなっている。昭和30年代には商店が30軒以上も建ち並ぶ、活気溢れる町だった。

 さすがにそうした時代の賑わいは失われたがいまも大正時代の古民家が残り、山中の旧街道の面影を留めている。そして古民家カフェやゲストハウスなどがあるような、ちょっとした観光スポットになっているのだ。

「追い抜き禁止」「通り抜け禁止」カンバン

 そんな吾野宿を東に抜けると、高麗川を渡ったところで国道299号に合流する。吾野宿の通りが旧道で、大動脈としての機能は新道であるところの国道に譲ったのだろう。国道沿いにはJAや小学校・中学校などがあり、町の中核機能も備えている。