黒い革スリッパと仮設の木製階段
土俵まわりには、もう一つ崩せない大きな前提があった。厳格な女人禁制である。土俵は神聖な場とされ、中央に「鎮め物」として、するめや昆布、洗米、塩、勝栗、かやの実などが埋められる。伝統に基づく神聖な場所なので、女性が土俵に触れることも避けるべきだと説明を受けた。
動線確認の通訳をする私は、土俵脇から少し離れた位置にマイクスタンドを置いて立ち、手振りを交えながらアメリカ人の「大統領役」に動きを伝えることになった。私が少し体を動かすたびに、相撲協会の関係者やアメリカ大使館の同僚から「よろけるなよ」と何度となく声が飛んだ。五月場所の最中に土俵を崩して作り直すような事態は避けなければならないからだ。
この動線確認の下見から「対処すべき事柄」が浮かび上がった。
土俵は土足禁止である。しかし、アメリカには人前で靴を脱ぐ習慣は、基本ない。ましてや靴下を脱いで裸足になることは、家でくつろぐ時の所作であり、公式行事の大統領の所作ではない。
そこで、表彰式で優勝杯を授与するために土俵に上がる際の履物をどうするかについても、相撲協会と話し合うことになった。もちろん力士は裸足だが、スーツ姿の来賓にはスリッパを履いた前例もあり、相撲協会が用意できるとのことだったが、大統領の足に合う「特大サイズ」のスリッパまではない。そこで、外務省側がアメリカから、安倍首相とトランプ大統領用の黒い革スリッパを調達することになった。
さらに、土俵へ上がる段にも工夫が必要だという点で、先遣チームの認識は一致した。相撲では本来、土俵側面の浅い切り込みを段として使うが、踏み面が狭く、安定して上がるにはコツがいる。満員の観客の視線と報道カメラが向く中、土俵へ上がる場面で大統領がよろけるわけにはいかない。そこでこの日は、土俵脇に仮設の木製階段を設置していただき、一段ごとの踏み面を広く取った。これもまた、リーダーをリーダーらしく見せるための裏方の準備だった。