――経歴を伺うと、奥様はいわゆるエリートでいらっしゃる。奥様に対してコンプレックスを感じたことはなかったですか。
こたけ これはまったくないです。学歴も、就職した法律事務所の規模も、年収もずっと妻のほうが上なんですけどね。たまに周りに言われることはあるけど、一度も思ったことはない。実は僕の父親が、まさにそういうことを子どものときから言っていたタイプの人で。母親のほうが収入が多かったので、「うちは母親のほうが稼いでるんだ、すごいだろ」「うちは母さんでもってる」というスタンスの人だったんです。母親は看護師だったので家賃もばりばり払ってましたから。
――お父様、フラットですね。当時の感覚で考えたらめっちゃレア。
こたけ 家事も何でもやっていましたね、父は。だから僕自身、家事はどっちがやるものだ、みたいなことを思ったことがない。ただ今の仕事だと僕のほうが家にいないことが多いので、負担が完全に平等ではないですし、妻は家事をきっちりやりたい人で、向こうのほうが先に着手してしまうので、「平等にやっています」と言ったら嘘になりますね。でも女性がやるべきと思ってやっていないわけではない。
――子育てはどのように進めていらっしゃるんですか。
こたけ 細かいルールも含めていろいろ決めていて、何時に寝かしつけるかなども決めています。それに従って毎日頑張る、という感じですね。
「家族が離れてまで…」遠距離別居中に芸人をやめることも考えた
――奥様は仕事の関係でアメリカ(IT大手)にいらっしゃった時期があったと伺いました。
こたけ そうですね、今は日本に帰ってきて一緒に子育てをしていますけど、当時は遠距離での別居のような形になっていました。
――どうやってコミュニケーションを取られていたんですか。
こたけ 毎日、僕は図書館で絵本を借りてきて、テレビ電話で読み聞かせをしていました。毎日やっていましたね、次から次に新しい本を借りてきて。息子はまだ2歳ぐらいだったので、会わなければさすがに忘れてしまう気がして。
――奥様がアメリカにいらっしゃった期間、こたけさんの芸人活動はどんな状況だったんですか。
こたけ 妻が行ってすぐの頃に、初めてテレビの賞レースで決勝に行ったんです。たまたまそこで動き始めたという感じでした。
――こたけさんがアメリカについて行くという選択肢もあったんですか?
こたけ ありました。むしろ、その年うまくいかなければ、辞めてアメリカに行こうということになっていたんです。それぐらいのタイミングでたまたまうまくいった、という感じですね。家族が離れてまでやるには、あまりにも結果が出ていなかったので。しかも、妻が日本に帰ってくる保証もなかったんですよ、そのときは。
――だったら自分がアメリカに行こう、と。
こたけ 子どもとずっと離れて、結果の出ていない芸人を続ける理由がなさすぎたので。辞めたかったわけではまったくなかったですけど、家族が離れてまでそれをするかという。
