〈「プリンス」と呼ばれた船田元が読み解く小泉進次郎の苦悩〉 から続く
自民党の衆院議員には、総裁経験者の子女が小泉進次郎氏のほかに5人いる。
9月に行われた自民党総裁選では鈴木俊一、河野太郎、小渕優子、福田達夫各氏は所属する派閥の方針に従い、告示前に態度を明らかにした。残る橋本岳氏は、総裁選の3日前に自身のブログで石破支持を表明した。
〈自民党総裁選における橋本がくの国会議員としての一票は、国会に送りだしていただいた有権者の皆さまのご支援の賜物であり(略)自分の投票行動とその理由については有権者の皆さまにご報告すべきことと考えます〉(「橋本岳ブログ」より抜粋)
私はその文章の最後を読んで、「元総裁の子」の中でもひとり意思表明から逃げ続ける小泉氏が苦悶する様子が浮かんだ。
「名字のおかげで自分の実力以上に注目される」
「8割の向かい風と2割の追い風ですね。政治には歴史やしがらみがありますから、自分ではどうにもならないことも多いです」
元首相の孫で、現職参院議員の父を持つ衆院1回生の中曽根康隆氏(36)は、政治家一族の中で育った「プリンス」が抱える特有の苦悩を語る。
進次郎と同学年。同じアメリカの大学院で学び、昨年の衆院選に初挑戦する際、かつて福田家、小渕家と議席を争った「上州戦争」のしがらみに翻弄された。無所属での出馬を模索したが、公示直前に党の和解案を受け入れ、比例単独に回った。忸怩たる思いで、「プリンスの箍(たが)」に身を委ねる道を選んだのだ。
「名字のおかげで自分の実力以上に注目される中でどのように立ち振る舞うか、本心をどう伝えるか、意図しない結果をどう抑えるかというのは、たぶん、進次郎さんと『こうだよね』という話をしなくても、お互い抱える悩みで、こういう境遇にいない人にはなかなかわかりづらい」
そう語る中曽根氏に、私は質問を続けた。
今回、10月10日発売の月刊『文藝春秋』11月号に10ページにわたって掲載されている拙稿「小泉進次郎『プリンス』はなぜ変節したか」に収まりきらなかった中曽根氏のインタビューを紹介する。
(聞き手・常井健一)
いまは「進次郎さん」と呼んでいます
――「元首相の孫」として、「元首相の息子」の小泉さんと比べられることも少なくないと思います。中曽根さん自身はどう思っていますか。
中曽根 そもそも同じ年、同じ大学院を卒業したというだけで、議員になる前に1回食事をしたというだけで、特別に仲良しというわけではなく、ましてや私は1期生の駆け出しです。政治家として進次郎さんは大先輩でもあるので、私のほうが一方的に刺激をもらっている状態です。
――今の小泉さんを見ていて、政治家になる前と変わったところはありますか。
中曽根 顔つきです。顔の筋肉が常に引き締まっている感じ。大きなものを背負っている顔をしています。昔は「ヤス」と「シンジロー」と呼び合うただの若者どうしでしたが、今はお互い公人。「進次郎さん」と呼んでいます。