今こそ戦後を知ろう。なぜなら、現在の私たちはそれによってつくられているからだ。それを学び、何を受け継ぐべきかを腑分けすることで、これからの未来を変えていこう。

 そのような志の下、近現代史研究者の辻田真佐憲氏が『「戦後」とは何だったのか 未来を変える日本現代史』(文春新書)を上梓した。

 その序章で辻田氏は、今、始まっているのは「新しい戦後」だと述べる。

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 本書から一部を抜粋してお届けする。

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 2022(令和4)年末、「新しい戦前」ということばが話題になった。タレントのタモリがテレビ番組で口にしたもので、その真意は定かではなかったものの、急速に人口に膾炙(かいしゃ)していった。戦後が失われ、ふたたび戦前へと近づきつつある――。そんな警告として広く受け止められたのである。

 その受け止められ方は、まさにこうした戦後の物語に沿うものだった。戦後の制度や価値観を見直そうとすると、「戦前か、戦後か」という二者択一に当てはめられ、戦前を復活させようとしていると批判される。

 だが、それではあまりに単純ではないだろうか。戦後もこれだけ長く続けば、新たな変化が生まれるし、それに対応しなければならないのは当然だろう。あらゆる変化を、戦前への逆戻りとして理解する必要はない。

1945年8月15日、終戦を知り皇居前広場に集まった人々

 もちろん、戦前の教訓を学び、その負の面が再来する危険性にたいする想像力を失わないことは欠かせない。しかし同時に、戦前との類似だけでは捉えきれない、新しい事態にも向き合わなければならない。

 いま、われわれの目の前ではじまっているのは、「新しい戦前」ではなく、むしろ「新しい戦後」というべきなのではないか。戦前が復活しているのではなく、戦後が大きく変わり、「第三の時代」が訪れようとしていると捉えるべきではないのか。

 そう捉えれば、戦後を一枚岩とみなす歴史像も崩れてくる。さらに、かつての高度経済成長やその後の経済大国の時代を、いずれ取り戻せるという発想そのものも問い直す必要が出てくる。

 戦後史に注目することは、戦前の歴史を軽視することではない。戦前と戦後が連続しているならば、戦後を深く知ることは、戦前をより深く理解することにもつながるだろう。

辻田真佐憲氏
最初から記事を読む 戦後史はなぜ顧みられないのか? それが敬遠されてきた背景にある「居心地の悪さ」の正体とは?