今こそ戦後を知ろう。なぜなら、現在の私たちはそれによってつくられているからだ。それを学び、何を受け継ぐべきかを腑分けすることで、これからの未来を変えていこう。

 そのような志の下、近現代史研究者の辻田真佐憲氏が『「戦後」とは何だったのか 未来を変える日本現代史』(文春新書)を上梓した。

 第三章「『自由』はいつやってきたのか」で、辻田氏は戦後憲法の二四条が戦前の家制度を解体したことを指摘するとともに戦後の改革は戦前の制度と完全に絶縁したものではなかったと述べる。 

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本書から一部を抜粋してお届けする。

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 1945(昭和20)年8月、日本は敗戦し、GHQの占領下におかれた。翌年11月、大日本帝国憲法が改正されるかたちで日本国憲法が公布され、明くる年の1947年5月に施行された。

 一般には、こうした憲法改正を含む占領下の民主化改革によって、日本は戦前と決別し、まったく新しい国に生まれ変わったと思われている。

 たしかに、従来の制度や国家観が大きく改められたことは間違いない。なかでも新憲法の第二四条は、家制度がもはや存続しえないことを明確に示すものだった。

 第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立(・・・ ・・・・・・・・・・・・・)し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、制定されなければならない。

 さきに述べたように、戦前の家制度では、婚姻について戸主が同意権をもち、家族全体が戸主の統率のもとに置かれていた。

 これにたいして第二四条は、婚姻は戸主の意思ではなく「両性の合意のみに基いて成立」すると定めた。さらに、財産、相続、住居、離婚をはじめとする家族にかんする制度は、すべて「個人の尊厳と両性の本質的平等」に立脚しなければならないとした。

 戸主が家族を統率するのではなく、ひとりひとりの個人が、男女の別なく対等な権利をもつ。それが、戦後の新しい原則となったのである。

1946年4月、日本で初めて女性に参政権が与えられた衆議院選挙が行われた

 なおこの第二四条は、GHQ民政局に勤務するベアテ・シロタ・ゴードンという当時22歳の女性が中心となって作成したことが今日ではわかっている。山田耕筰などとも交流のあったピアニスト、レオ・シロタの娘として幼少期を日本ですごした彼女は、日本人女性の地位の低さに強い問題意識を抱いていたという。

 この憲法の施行に対応するため、まず1947年5月に民法の応急的措置を定める法律が施行され、続いて民法が親族編・相続編を中心として大幅に改正された。改正民法は1948(昭和23)年1月に施行され、戸主権と家督相続を中心とする家制度は、法律のうえではついに解体されるにいたった。

 国家のあり方も大きく変わった。天皇主権に代わって国民主権が掲げられ、天皇を家長、臣民をその家族に見立てる家族国家の理念も、公的な原理としては語られなくなった。

 この点で、敗戦と占領が日本の国家と家族のあり方に大きな断絶をもたらしたことは疑いない。

 しかし、戦後改革は戦前の制度をすべて捨て去り、まったく新しい制度をゼロからつくり上げたわけではなかった。

 民法の改正とあわせて戸籍法が改正され、戸籍制度も大きく改められた。戸籍に記載される範囲は縮小され、夫婦とその未婚の子を基本単位とする制度になった。

 とはいえ、戸籍とは家に属するひとびとをひとつの集団として記録するものだった。家制度を解体し、個人の尊重を新しい社会の原則とするのであれば、戸籍も個人単位の登録制度へと全面的に改めるのが自然だったのではないか。

 じつはGHQも当初はそのような方向での改革を考えていた。ところが日本側でカウンターパートとなった司法省は、家族単位の制度を維持したほうが、物資や人員の面で行政上の負担を抑えられると説明した。そのため、GHQは個人単位への変更を求めることを断念したとされる。

 夫婦同姓についても、日本側は、結婚する際に夫または妻のどちらかの氏を選ぶことができる以上、男女平等には反しないと説明した。これについても、GHQは受け入れたとされている。

 政治学者の遠藤正敬は、こうした日本側の抵抗の背景には、家を「『日本人』の精神的紐帯(ちゅうたい)として生かしておきたいという守旧的な切望」があったのではないかと推測している(『戸籍の日本史』)。

 つまり戦後の改革は、戦前の制度と完全に絶縁したものではなかった。戸主権や家督相続のように明確に廃止された部分があるいっぽうで、家族単位の戸籍や夫婦同姓のように、戦前から引き継がれた部分も残されたのである。

辻田真佐憲氏
最初から記事を読む 戦後史はなぜ顧みられないのか? それが敬遠されてきた背景にある「居心地の悪さ」の正体とは?