今こそ戦後を知ろう。なぜなら、現在の私たちはそれによってつくられているからだ。それを学び、何を受け継ぐべきかを腑分けすることで、これからの未来を変えていこう。
そのような志の下、近現代史研究者の辻田真佐憲氏が『「戦後」とは何だったのか 未来を変える日本現代史』(文春新書)を上梓した。
第三章「『自由』はいつやってきたのか」で、辻田氏は「戦後改革をGHQによる押し付けと、それにたいする日本側の抵抗という構図のみで理解することもまたできない」と述べる。
本書から一部を抜粋してお届けする。
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戦後の制度は、なぜこのように“まだら模様”のものになったのだろうか。
ひとつには、占領下の改革が、GHQによる一方的な命令だけでなく、日本側の抵抗や交渉とのせめぎ合いのなかで進められたことがあげられる。
日本政府は、ポツダム宣言を受諾するにあたり、天皇の国家統治上の地位を変更する要求は含まれていないという了解を求めた。いわゆる「国体護持」である。
敗戦によって国家が大きく傷つくなかでも、日本の指導者たちにとって守るべき一線が、この国体だった。それはまさに最後に残された拠り所だった。
だが、国体ということばは、何を意味するのかがはっきりしなかった。天皇が統治権をもつ国家体制を指すのか、皇統が続くことを指すのか、それとも天皇と国民との精神的な結びつきを指すのか。その定義によって、国体が失われたとも、守られたとも説明することができた。国体とはその意味で、融通無碍なことばだった。
したがって、新憲法によって主権が天皇から国民へ移った時点で、戦前の国体は解体されたと考えることもできる。しかし、哲学者の和辻哲郎のように、天皇はもともと権力によって国民を支配する存在ではなく、国民統合の象徴として存在してきたのだと解釈すれば、象徴天皇制のもとで国体は護持されたと説明することもできる。
そのため、実際にはGHQからの厳しい改革要求に屈しながらも、「この点だけは守った」というかたちで国体を護持したとの体裁を整えることが可能だったのである。
家制度についても、同じ文脈で考えられるのではないだろうか。その基本的な枠組みが廃止されながらも、家族を単位とする戸籍や夫婦同姓は残された。こうすることで、日本の家族のあり方や、国体につながる何かはかろうじて守られたと理解する余地が残った。
