第一生命の保険外交員として全国トップクラスの実績を誇る一方、89歳で刑事告発されるまで顧客から19億円超を騙し取り続けた“伝説の生保レディ”正下文子。彼女が地元で多大なる影響力を発揮できた要因の1つに、有力地銀・山口銀行とのただならぬ関係があった。

 ここではノンフィクション作家・窪田新之助が事件の真相と正下の人生を追った『岐山の女』(講談社)から一部を抜粋して紹介する。

「あんた、明日呼び出しがあるよ」――なぜ出入りの保険外交員にすぎない正下が、銀行の極秘人事を事前に把握し、行員たちに連絡できたのか。のちに「山口銀行のドン」と呼ばれる最高権力者・田中耕三との“ただならぬ関係”の正体とは……。(全3回の3回目/最初から読む)

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事件の舞台となった山口県周南市の工場夜景 ©syataka/イメージマート

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漏れた人事情報

「正下さんは、突然訪ねてきて、保険の営業先を紹介してくださいと言ってくる人でした」

 こう述懐するのは、山口銀行での支店長経験者の岩本一夫(仮名)である。支店長らが、約束もなしにやってくる外部の人間に対して丁重に対応したのは、田中耕三との関係を知っていたからだという。

「二人が親しい間柄というのは、みんな、おおいに認識していましたからね。私も保険の営業先を紹介したことはありますよ」

 翌日には、正下文子の慣習である礼状のハガキが届いた。

「ハガキは、どうやら帰りに書いて、すぐに投函しているようでした。営業職員としての基本を怠らない人ですよ。なかなかできる人はいません。だから、職場のみんなは感心していました」

 ただし、営業に協力しない支店長には態度が打って変わって威圧的になり、こんな文句を投げかけてきた。

「あなた、お客さんを紹介してくれないわね」

「私は頭取と知り合いなのよ」

 証言者は、支店長の経験者でもある山口銀行元取締役の濱田誠(仮名)である。部外者の暴言など放っておけばいいのだが、彼らには抗えない理由があったという。

「正下のばあさんには、山銀内の人事異動の情報が事前に漏れていたんです。内示の前日に彼女から電話があって、『あなたは明日、支店長になるわよ』と、突如告げられた人たちがいました。心外ですよね。なんで正下のばあさんが知っているんだと。なんで、会社からでなく、外の人から先に聞かされなければいけないんだと」

 人事の内示を外部から知らされる。それは、順序が逆だった。

 銀行の人事は、当然のことながら組織の内側で決まる。それを、外にいるはずの正下が、なぜだか先に知っている。それだけで、行員たちは正下の存在を意識せざるを得なかった。