日本語を失いたくない
成田 「いいえ」という日本語はただの否定を意味することもあれば、相手からのお世辞への謙遜と相槌という肯定を意味することもある。日本語は情報や論理よりも、文脈や人間関係を表現するのが得意ですね。そんな日本語を母語として生まれた内田さんは、オーストリア大使になったお父さんとともに、1961年にウィーンに移られた。その結果、ドイツ語と英語もほとんど母語水準で操る言語の達人になられた。
内田 おかげでゲーテというドイツ最大の詩人と、シェイクスピアという他に並ぶ人のいない天才に触れることができました。
だから私は、言葉や文化を知ったうえで音楽を作ることの重要性を、身に沁みて感じているんです。もし日本語しか知らなかったら、何もわからず「なんじゃらほい」と思いながら弾いていたと思います。
もちろん、12歳でウィーンという新しい場所で、新しい言葉、新しい文化の中に放り込まれるのは、大変でした。でも、振り返って本当にラッキーだったと思うのは、私が両親、とくに母と近い関係にあったことなんです。おかげで、母との関係の象徴でもある日本語を失うようなバカなことはしたくない、と明確に思ったんです。外交官の子どもたちの中には、全く日本語を忘れたような人たちもいましたから。
成田 言葉に加えて音楽も、やはりご家庭の環境が大きな影響を?
内田 2歳年上の兄が4歳の頃からピアノを習っていたので、私達もお稽古についていったんです。そうしたらある日、その先生が私の母に「光子ちゃんの方が、お兄ちゃんよりも音楽に興味持ってるから、あの子に教えさせてほしい」と言ったのがきっかけでピアノを始めました。
それと、戦時中に父がドイツに駐在していたので、持ち帰った78回転のレコードが家にたくさんあったんです。子どもたちに聴かせるような父ではなかったんですが、私は勝手に聴いていたんですね。その中に大好きなレコードが5、6枚あって。私は当時ドイツ語がわからなかったので、ずっとドイツの民謡かと思っていたんです。それで12歳でウィーンに来て、フィッシャー=ディースカウの《冬の旅》の演奏会で《菩提樹》を聴いたとき、それが子どもの頃、大好きだった曲だとわかった。つまり私は、何も知らないうちから、好きな音楽を自分で見つけていたんです。
成田 誰から教えられたというわけでなく、光を浴びるように……。
内田 音楽って教育じゃないんですよ。体験なんです。日本人は、すぐ「音楽教育」なんて言うんですけど、「弾く」は英語でPlay、ドイツ語ではSpielen、どっちも「遊ぶ」という意味。楽しみなんです。だから、教育みたいに上から何か正しいことを教え込むものじゃない。
成田 この山奥で若い音楽家と長い時間を過ごしていても、内田さんは「教える」ことに慎重ですね。
内田 だって、私が目の前であれこれ指示すれば、その場ではみんな弾けるんです。でも、それだと、私がいなくなったらまた空っぽに戻ってしまう。だから言葉をある程度使う。「こういうふうな考え方があるよ」「こういう聴き方があるよ」と。大事なのは、弾き方ではなく、どう考えるか、どう聴くかです。それは今日明日で身につくものではありません。5年後、10年後、あるいは50年後に、「ああ、あの時言われたのはこういうことか」と分かるかもしれない。とにかく最終的には、本人の中から出てきたものにならなければ意味がないんです。
※うちだみつこ◎1948年、静岡県生まれ。68年、ウィーン国立音楽大学卒。二度のグラミー賞のほか、2009年に大英帝国勲章デイムを受章。現代を代表する世界的ピアニスト。英国在住
※約7000字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(内田光子×成田悠輔「音楽は教育じゃない、体験よ」)。全文では、以下の内容が語られています。
・面と向かって「女は売りにくい」
・音楽を繋いでいく「鎖」

