「お金よりも猪木」

「僕はお金はどうでもいいんです。満足していたんです。お金よりも『猪木のためなら死ねる』という思いがありましたから。だからハイセルで新日本が潰れていくにしてもかまわないと思いました。だから僕自身がタイガーマスクで人気になって、それで儲けてやろうなんて考えたことは一度もありませんでした。

 それがある時(83年7月の「サマーファイト・シリーズ」北海道巡業)、巡業先の北海道のホテルのエレベーター前で、ある先輩レスラーから『今度、富山で試合する時に話し合いがあるから来てくれ』と言われました。いわゆるクーデター派の人たちの話し合いですね。富山の鉄道会館(鉄道弘済会宿泊所)でした(83年7月29日)。その声をかけてきた先輩は話し合いの場には不在だったんですが、そこには3人いらっしゃって、ひとりが『スポンサーができたから、十分な資金がある』と言ってきました。

 2億6000万円だったか正確な金額は忘れましたが、とにかく当時としては破格のお金です。『お金が用意できたから俺たちと一緒に来てくれ』と言われて、社内改革や新団体を設立するというような話でした。

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 僕は猪木派だったので、おそらく最後に声をかけてきたと思うんです。僕からしたら先輩にあたる人たちからの話ですが、僕は『(新団体に参加は)できません』と答えました。そうすると『じゃあ、この話は絶対に黙っておいてくれ』と言われました。

 そんなやり取りがあった同時期に先ほど言った結婚式の問題があって、僕の親も怒っている。結婚への反対、クーデターでの板挟み、そして早く格闘技路線に向かいたい思い。いろんな要因があの時期に一気に重なったんです。ちょうどいいタイミングだなと思いました。『新日本から離れよう。新格闘技をつくろう』と考えたんです」

次の記事に続く 「これはまずい」本当は“素顔を隠して”引退するつもりだったが…初代タイガーマスクの正体を暴くことになった【有名カメラマンとのある約束】