人気絶頂の1983年8月、突如としてリングを去った初代タイガーマスクこと佐山聡。前編では、巷で噂された「クーデター主導説」を否定し、結婚介入や金銭面を巡る会社への不信感が引き金だったという真実が本人の口から明かされた。
後編では、静かにプロレス界を去り「新格闘技」の設立を目指していた佐山の思惑を大きく狂わせた「ある事件」に迫る。暗躍する謎のマネージャーの存在、そして素顔を明かすつもりはなかったヒーローの正体が暴かれることになった「有名カメラマンとの約束」とは――。宝島社の新刊『証言 アントニオ猪木 1983年新日本プロレス・クーデター事件』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目)
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新格闘技をつくりたいという明確な意志
新日本内部では、佐山は会社の経営や待遇に対し不信感を募らせているとみられていた。クーデターを画策した側が、佐山も自分たちに同調すると考えたのは、そのためだろう。
しかし、本人の証言から浮かび上がる退団の理由は違った。クーデターをめぐる板挟み、結婚への会社の介入に対する反発、そして以前から抱き続けてきた新格闘技への渇望。それらが83年夏、一気に重なったのである。
タイガーマスク最後の試合となったのは、8月4日、蔵前国技館での寺西勇戦だった。その6日後の10日、佐山は新日本に契約解除を通告。
12日には山本小鉄ら幹部同席のもと、東京・世田谷区二子玉川の富士観会館で、マスクと保持していたNWA、WWFのジュニアヘビー級王座の返上式を行った。引退試合もなければ、ファンへの別れの言葉もない。人気絶頂のスーパーヒーローは、突然、表舞台から姿を消した。
その退団劇を語るうえで、もう一人、欠かせない人物がいる。当時、佐山のそばにいたショウジ・コンチャである。
