「ショウジとは新日本の人間から紹介されて知り合いました。その時は『新日本プロレス・プロモーター』という肩書の名刺を持っていました。僕の自宅の近くに住んでいて、一度彼の車で送ってもらったことで、その後も僕の運転手代わりをやってくれるようになりました。

 また、僕が新日本を辞めたあとですが、ある時、タイガーマスクに関する様々なビジネスで、そのお金を管理していた僕の知らない会社の存在を知りました」

佐山の本意ではなかった“素顔”の公開

 タイガーマスクのビジネスのお金を管理していた会社の存在――。

ADVERTISEMENT

写真はイメージ ©アフロ

 クーデター後の9月29日、『週刊平凡』(83年10月13日号)の取材に応じた山本小鉄の証言によれば、同社はタイガーマスクのサイン会などリング外の活動をマネージメントしていた。新日本本体とは別会社でありながら、新日本側の人脈・管理下でタイガーマスクの営業を扱っていたという。

 では、この会社は誰の会社だったのか。それを裏づける資料はない。したがって「ハイセルのためにつくられ、タイガーマスクで得たお金をハイセルに流していた会社」とまで断定することはできない。

「僕たちは少ないギャラでも、猪木さんのために頑張ろうと思っていた。新日本がどうなっても絶対に頑張ろうってずっとやっていた。ところがそういう僕の知らない会社があったことはショックでしたね。

 タイガーマスクを引退した時、まず東京スポーツ(83年9月21日付)が1面で僕の顔写真を載せたんです。世間にはそれで初めて佐山聡という正体の素顔がバレました。僕としては後ろ姿だけを撮らせて、そばにマスクを置いて『さよなら』といった構図の写真を掲載してもらおうと思っていました。

 タイガーマスクの正体はずっと明かさないつもりだったんです。だけど、ある事情で僕の顔が紙面に掲載された。僕は『まずい』と思ったんですね」