5/5ページ目
この記事を1ページ目から読む
パートナーとの決別
「僕としては30年後を見据えた格闘技をつくろうと思っていたんです。構想やルール、技術体系をつくりながら、30年後に理想の選手が誕生したらいいという長いスパンで考えていた。だから最初に僕が教えるのは、選手をつくるためではなく、将来、新格闘技を教える先生になる弟子たちを育てるつもりだったんです。
でもショウジとしては佐山の名前を売って、すぐにお金にしたいわけです。だからシューティングのジム(タイガージム。84年2月オープン。代表取締役会長ショウジ・コンチャ。同年7月閉鎖)をつくったあと、『ジムの経営が苦しいから、全日本プロレスに出てくれないか?』って話をしてきたことがあったんです。環八沿いの喫茶店でした。その時、僕はさすがに怒りました。そのあともショウジはいろんな問題があり、僕とは決別することになりました。
当時は『全部自分がやるから』とショウジに言われて任せていたんです。僕は格闘技のルールづくりに一生懸命で、毎日徹夜していましたから」