静かにプロレス界から去ろうと思ったが…

「というのは、僕が家族ぐるみでお付き合いしていたカメラマンの山本皓一さんという方がいて、とても仲良くしていたんです。以前から『自分がマスクを脱ぐ時は山本さんに撮ってもらいます』と話していたので、東スポに自分の顔が出た時、まず『山本さんに悪いことをした』と思ったんです。それで『東スポに撮られちゃいました』と電話したら、『ああ、大丈夫ですよ』と言ってくれました。

『では、もう一回撮り直しましょう』ってことになり、山本さんが新たに撮ってくれた写真を『週刊ポスト』(83年10月21日号)で出してくれたんです。それから『GORO』(84年1月12日号)でダイナマイト・キッドと再会したところを撮ってくれたのも山本さんです。

 とにかく僕としては引退後も素顔をさらす気はなく、そのまま静かにプロレス界から去ろうと思っていました。佐山聡の名前が一人歩きすると、これからつくる新格闘技に支障が出るだろうと思っていたんです。引退後にタイガーマスクの名前を使って何かやろうとはまったく思っていなかった。

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 それが東スポに素顔が出たことで、山本さんへの義理立てもあって別の雑誌にも素顔をさらした。『でもまあ、それくらいならいいか』と思っていました。

 ただ、もうひとつ、ずっとお世話になっていたテレビ朝日のプロデューサーがいて、その人からの話で『欽ちゃんのどこまでやるの!?』に出ることになったんです(84年1月18日)。

 雑誌でもう素顔をさらしてるので、テレビでマスクを脱いでもいいだろうと思って収録中に脱いだら、世間の反響がとんでもなかった。やっぱりテレビと雑誌はまったく影響力が違うんですね。

 そこでまたワーッとなって、案の定それが格闘技のほうにも影響した。『タイガーマスクが新格闘技っていったい何をやるんだ?』という興味を世間に抱かせてしまった」