2004年に「紅雲町のお草」でオール讀物推理小説新人賞を受賞し、それから約20年、「紅雲町珈琲屋こよみ」シリーズを書き続けてきた吉永南央さん。

 本シリーズは第12巻『時間の虹』をもって一区切りを迎えましたが、今年10月、『故郷の青空 新・紅雲町珈琲屋こよみ』が新シリーズ第1巻目として発売になりました。

 新シリーズ開幕と新刊発売を記念して、吉永さんにお話を伺いました。(第2回目)

ADVERTISEMENT

※こちらの記事は、新刊『故郷の青空』のネタバレを含みますのでご注意ください。

◆◆◆

10/23発売の『故郷の青空 新・紅雲町珈琲屋こよみ』

「青空」は明るいだけじゃない

――『故郷の青空』では、訳あって「小蔵屋」を閉めたお草さんの現在と、15年前の回想が交互に描かれる構成をとっています。

吉永 新シリーズを始めるにあたって、担当編集さんと沢山話して考えた部分です。

 お草にとって「小蔵屋」を営んでいた時期は、とても意味のある時期だと思います。だから過去についても描けたらいいなと思い、あの構成になりました。

 小蔵屋の閉店から7年も時間を経過させたことで、お草も『故郷の青空』では80代後半になりました。でも、身体は老いても精神は意外とそのままなんですよね。いくつになってもお草は新しい毎日を生きているわけで、今後も鮮度を失わないようにシリーズを書いていきたいです。

――冒頭から、お草さんが元気そうでほっとしました(笑)。

吉永 毎日楽しく生きるのが上手ですよね。お草にも言えることですが、丈夫で長生きしている方はしっかり食べているなあ、と思います。私も見習いたいです(笑)。

――新作のタイトル『故郷の青空』は、どのようにして決まったのでしょうか?

吉永 実は『故郷の青空』の前に、『故郷ふたつ』という案が最初にあったんです。でも、調べてみると全く同じ名の日本酒があって。東日本大震災を経て、一度廃業になりながらも再び立ち上がった、という深い思いを込めた名だということが分かり、それではおいそれと使えないな、とあきらめました。

 それで仮タイトルとして「故郷の青空」と入れておいたら、書いているうちにどんどんはまっていって、気づいたらそのままになっていました。正直に言うと、そういう経緯です(笑)。

――そうだったんですね。でも、『故郷の青空』からは切なさも感じられて、内容にぴったりはまっていると思います。

吉永 「青空」という言葉は、明るく元気なイメージだけではないと思います。「故郷の青空」と言われると、みなさんそれぞれに思い浮かぶものがあると思いますが、それが明るいことだけとは限らないですよね。

 私自身にも、忘れられない青空の記憶があります。小学生のとき、ランドセルを背負って下校していたら、家の外にシーツなどの洗濯物が全部干してあって、青空の中ではためいていたんです。母は体調を崩し何日か仕事を休んで横になっていたので、もうよくなったんだ、と安心しました。でも、家に入ったら、母が発作を起こして意識も飛びそうな状態になっていて……。親戚が集まってざわついていて、大変なことになっていました。呆然と立ち尽くしてしまいましたね。

 あのあと母は回復したんですが、後から聞いたら、「すごく具合が悪くなる気がして、洗濯物を残しておけないと思った」と言っていました。洗濯して全部干してから、案の定、具合が悪くなったのだと(笑)。私と母の間では笑い話にしましたが、あの日の青空と洗濯物は今でも忘れられません。

 あのときのほっとした気持ちと悲しい気持ちは、『故郷の青空』に登場する人物の感情にも通じるかもしれませんね。

――『故郷の青空』で登場する瓜生という男性は、15年以上前の中学生の頃に、忘れられない出来事を経験しています。一度離れた故郷に対して、複雑な感情をもっていますね。

吉永 そうですね。その出来事にお草も少なからず関わっていて、15年以上経って再会する……というお話です。

――終盤で、お草さんが瓜生に対してかける言葉の温かさが印象に残っています。相手に踏み込みすぎない、まさにお草さんらしい言葉だと思いました。

吉永 そう言ってもらえて嬉しいです。

 大切な人ほど手放す、というのは人間関係で大事ですよね。いつもギューッとしていたい、というのも愛情のひとつですが、腕をほどいて「帰りたいときに帰っておいで」っていうことが、お草は自然にできていると思います。さっきの話にも繋がりますが、簡単に言うと「来る者拒まず、去る者追わず」なスタンスですね。