前篇より続く

胸を締め付けられるような思い出も、少しましに染め直すことはできる

――最新刊の『花ひいらぎの街角』は、お草さんが旧友が昔書いた小説を本にしようと思い立ち、印刷会社を訪ねたところから、その関係者の複雑な人間関係や彼らの事情を知ることになります。

花ひいらぎの街角 紅雲町珈琲屋こよみ

吉永 南央(著)

文藝春秋
2018年2月8日 発売

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吉永 これは最初にこの小説を書こうとした時、メモの一番上に「古い記憶を明るく染める」と書きました。抜群に良かったことってなかなか思い出せなくても、失敗したことや良くなかったことって、わりと記憶に残っていますよね。ましてや人を亡くしただとか、胸を締め付けられるくらいの痛い思いというのは、100%忘れる人は少ないと思います。でもその思いをもう少しましに染め直すことはできるし、それは生きていく意味として大きいと思うんです。そのことを一冊にして読んでいただけたらいいなというところが出発点でした。

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――私家本を作るために活版印刷のことを知ったり、ある人物の亡くなった理由が、実は違うということを突き止めたり……。

吉永 お草自身も、旧友が送ってきた絵巻を見て、昔のことを一瞬にして思い出します。それまで若い頃の恋愛や仲間と過ごしてきた時間、辛い結婚の思い出は、自分の今の人生とは遠いところに置いた状態でした。でも旧友が送ってきた絵巻によって、その記憶をもう一度自分で取り出して、旧友たちと思い出の丘陵に行ってみる。すると、昔芸術村を建てようと思っていた場所が、お花畑になっていて、そこをみんなで歩くことになる。そうするとその場所の記憶が新しい色に塗り替えられていくというか、重なっていくというか。そういうアクションによって結果的に、よかった時代の手触りを確認するんですよね。それができたのは、長く生きて何かしら思ったことを行動に移していたからだと思うんです。

 この『花ひいらぎの街角』の中では、下請けの印刷会社に勤めている男性の奥さんについても同じようなことがなされています。その背景として、下請けの仕事の厳しさという現実とか、その問題がどんなふうに処理されていくかといった今の時代で無きにしも非ずなことも、重ねて書いてみました。

吉永南央さん ©榎本麻美/文藝春秋

地方都市には大都市で起きること、田舎で起きることの両方がある

――毎回1冊を通して起きる事件が、地方都市だからこそ起きそうな出来事なんですよね。その作り方も上手いなと思っていました。

吉永 そんなに突飛なことを書いている意識はなくて、地方都市に暮らしている人にとっては「ああ、こういうことあるよね」と思ってもらえることばかりじゃないかなと。

――たとえば第5巻の『まひるまの星』では山車蔵の移転先として小蔵屋の敷地はどうかと打診され、他にいい場所はないかと考えているうちに、過去の事件が明かされていく。そんなふうに個人の土地が無償で提供されるものなのかと意外でした。

吉永 他のケースもあるかもしれませんが、うちの敷地にも建っています。もちろん土地を持っていても山車蔵を建てるのは困るお宅もあるでしょうし、「子どもも育ってよそに行ったし車を置く必要もなくなったんで、いいですよ」という方もいれば「両親だけが住んでいた家がもう取り壊しで使い道もないからどうぞ」という人もいるでしょうし。山車蔵が建った状態のまま売買されることもあります。町内のためにこの山車蔵はそのままにしてくださいね、という条件で買ってもらうという。

 そうしたローカリズムみたいなものの一方で、駅周辺にはマンションがたくさん建って、知らない人がたくさん住むようにもなっている。都会で起きているようなことと、田舎で起きがちな話の両極端があるという感じですね。