無名のオランダ企業が覇権を握れた理由

 それにしても、なぜオランダで、と思わざるを得ない。

 決して大国とは言えないオランダの企業が、なぜこのような仕事の仕方をして、そしてついには技術覇権を握るに至ったのか。

 その理由について、前章では「貧困説」を提示した。ASMLの設立当初は小さくて貧しかったことが、他社の力をうまく活用するシステム・アーキテクトという仕事の仕方にたどり着いたのではないかという仮説だ。

ADVERTISEMENT

 ここで提示するもう一つの説は、歴史と文化的側面に求める見方だ。

 作家の司馬遼太郎は『街道をゆく オランダ紀行』で、17世紀オランダの黄金時代を紹介したうえで、オランダ人の仕事の仕方について興味深い指摘をしている。

「オランダにとって“黄金の17世紀”といわれる時代でも、人口は二百万台にすぎなかったようである。でありながら、17世紀には、この小国が、ヨーロッパ第一の国民所得を誇った。

(中略)

 それでも「仕事」というものにかけては、ヨーロッパ随一の能力を持っていた。物事を組織的にやるという、こんにちの巨大ビジネスのやり方をあみだしたのは17世紀のオランダであり、18世紀はじめの英国は、それをいわばまねたにすぎないとさえいえそうである。」

 ここでのポイントは、17世紀のオランダは「物事を組織的にやる」という仕事のやり方をはじめてあみだしたという指摘だ。この仕事の仕方は、まさに、世界中の最良技術を結集するというシステム・アーキテクトの仕事の仕方に通じる側面が大いにあるように思える。

写真はイメージ ©AFLO

 とするならば、このような仕事のやり方が、かつて黄金時代を築いたオランダ人の特性として、もっと言えばアイデンティティの一つとして、世代を超えて伝承され継承されてきた可能性は否定できない。

 17世紀のオランダは物事を組織的に行うという仕事のやり方をあみだしたことで、世界の覇権を握り黄金の17世紀を作り上げたのである。そしてASMLは、システム・アーキテクトという仕事のやり方で、半導体露光装置産業の覇権を握ったのである。

 日本はEUV競争で敗れた。その敗北を技術者の能力不足に帰着することは短絡的に過ぎる。むしろ、日本企業が長年培ってきた強みが、「EUV水準」の革新が求められる状況の中では十分に機能しなくなったことに、その要因の一端があったように思われる。

 半導体露光装置産業の覇権争いは、技術力の構築競争だけでなく、世界中に存在する知識や技術をいかに組織化するか。その能力が問われる競争でもあったと解釈できるだろう。

最初から記事を読む 「判断にブレはなかった」社長が言い切ったニコンは、なぜオランダ企業に惨敗したのか? 半導体巨人の命運を分けた大誤算とは