新刊『魔女になりたい』を刊行した伊藤亜和さんと、紗倉まなさんによる対談の後編。女性たちの物語を描いていても、「フェミニズム」という枠組みには違和感があるという伊藤さん。そこには子ども時代のある印象的な思い出が影響していました。

 今思い返せば自意識過剰だった青春時代の自己プロデュース、年齢を重ねる中で獲得した図々しさなど、他人の視線から自由になり、自分らしく軽やかに生きていくためのヒントを語り合います。(全2回の2回目/1回目から読む)

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紗倉まなさん、伊藤亜和さん ©末永裕樹/文藝春秋

私は女性が怖い

紗倉まなさん(以下、紗倉) 『魔女になりたい』で一貫して描かれているのは、「この人は去ってしまうんじゃないか」「離れてしまうんじゃないか」という予感ですが、亜和さんはそれを受け入れてもいますよね。それは私には持ち得ない強さだなと思ってもいて。それぞれに魅力的だけれど個性的で癖が強くて、ある意味“懐柔”できない人たちのエピソードが書かれていますが、そもそも亜和さんはそういう人たちに魅力を感じやすいのでしょうか?

伊藤亜和さん(以下、伊藤) いや、私の周りにいてくれるのはそういう人たちしかいないので、最終的に残った人たちですね(笑)。

 そういえば昨日、別のイベントで本を売っていたら、矍鑠(かくしゃく)とした雰囲気のおじい様に「これはフェミニズムの本かな?」と聞かれたんです。それに対して私は、「フェミニズムから逃げて書いた本です」って正直に答えたんですよね(笑)。『魔女になりたい』には主に女性たちの話を書いているので、どうしても「フェミニズム」の文脈で捉えられやすいじゃないですか。でも、私の中で「フェミニズム」「シスターフッド」「女性の連帯」という言葉に対する“畏れ”がなぜかあって 。

伊藤亜和『魔女になりたい』

紗倉 その畏れというのは、どこから来ているものなんですか? SNSで散見されるような言い争いなどのイメージから来ているのか、そういった枠組みに閉じ込められるのが怖いのか。

伊藤 そもそも根本的な話をすると、「私は女性が怖い」んですよ。男兄弟や従兄弟たちの中で仮面ライダーごっこをしながら育ったので、まず「女の子と何を喋っていいか分からない」というのが原点にあります。小学校の時に、友達に「トイレ一緒に行こう」って言われて、「なんで一緒に行かなきゃいけないの? 行きたい時に行くから」って返したことがあって。そしたら相手の女の子にすごく悲しい顔をされたんです。そこから人生のルートが違う方に行っちゃった気がするんですよね。

紗倉まなさん、伊藤亜和さん ©末永裕樹/文藝春秋

紗倉 連れ立ってトイレに行くのは“絆”でもありますよね。“尿意の絆”というか。

伊藤 尿意の絆……。

紗倉 同じ行動を繰り返すことで、相手と自分が近い存在になっていくことの気持ちよさや安心感みたいなものがあるんでしょうね。私はそこに乗り気ではなかったけど、「まあ、これが女子か」と捉えるようになってからは、違和感を持ったり拒絶したりといったことはなかったです。

伊藤 トイレに一緒に行かないとか、生理が始まるのも周りより遅かったこととか、いろんなことが混ざり合って、女子の中でどう振舞っていいのかわからなかった。「自分はデリカシーがないんだな」って思い込みながら育ってきたんです。