圧倒的なカリスマ
マルコム・Xは1925年、ネブラスカ州オマハで生まれた。バプテスト派の反体制的な牧師で「アメリカに黒人の自由はない」と公言していた父アール・リトルは1931年、ミシガン州ランシングの道路上で路面電車に轢かれ死亡。公には事故として処理されたが、実際はアールを敵視する白人至上主義の秘密結社「ブラック・リージョン」の仕業とされ、この出来事は幼いマルコムに深いトラウマを残した。同時に父の死で家族が離散したこともあいまって彼の中で反体制思想の基盤が形成される。
学校で優秀な成績を収め、何度も学級委員長に選出されたが、白人教師から「黒人には弁護士は向かない」と差別的な進路指導を受け、8年生で中退。ボストンやニューヨーク・ハーレムのストリートでギャンブル、麻薬、窃盗に手を染め、1946年、20歳のときに窃盗罪などで8~10年の懲役刑を受ける。マサチューセッツ州の刑務所に服役中、2歳上の兄レジナルドから「ネーション・オブ・イスラム」(以下、NOI)の教えを聞き改心。
膨大な読書をこなし、辞書を丸暗記するほどの知的努力で変貌を遂げる。1952年、仮釈放。奴隷時代の姓「リトル」を捨て「X」(失われたアフリカ系先祖の本当の家族名を象徴する名称)に改名したうえで、NOIの宣教師として活動を開始した。
NOIは1930年にアフガニスタン出身(諸説あり)のウォール・ムハンマドがミシガン州デトロイトで創設した、イスラム教の教えを基にした黒人独自の宗教・政治組織で、1933年から指導者となったウォールの後継者イライジャ・ムハンマド(1897─1975)は白人を「悪魔」と位置づけ、黒人の経済的自立、分離主義、厳格な生活規律を説いた。マルコムはムハンマドの指導のもとスポークスマンとして活躍、組織の拠点であるボストン寺院やハーレム寺院を活性化させ、1952年ごろには数百人程度だった会員を1960年代初頭には数万人規模に拡大させる。
マルコムには圧倒的なカリスマ性があった。
191センチの長身、端正で堂々とした容姿、鋭い目つき、完璧な身だしなみ。そのスピーチは知的、即興的かつ攻撃的で、本来白人より優れている黒人のアイデンティティの奪還、「投票か弾丸か」という発言に代表される暴力の肯定、自分たちだけの店・学校・コミュニティを作る黒人の経済的自立などを説いた。それは後に殺されることになる公民権運動家マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が強調した「非暴力・希望・愛」とは真逆で、演説を聞く者の心を鷲掴みにする。
