ダンシング それで結局、二人で逃げました。今と違ってSNSも何にもないですから、「この店はやばい」とか「怪しい」とかまったくわからない。どうやって芸人になっていいかもわからなくて、手探りだったんですよね。とにかく行ってみるしかないから、次は渋谷の宇田川町にできたばかりのショーパブの門を叩いてみたんです。そこはすごく良いところで、ローションプロレスのようなことをすることもなかった。

 ただ、当時、聖飢魔IIの人気が高まっていたから、店側が「おまえたちも聖飢魔IIをやるんだぞ!」ということで、ステージ上で演者が悪魔になってショーをするようになったんですよ。悪魔になった僕が羽交い締めにされて、上からロウソクを垂らされて、口に含んだ血のりをバーって吐く。すっごいウケるんですけど、「これってお笑いの修行かな?」と思って。

当時のダンシングさん(写真=本人提供)
当時のダンシングさん。ロウソクを垂らされている(写真=本人提供)

僕のものまねのスタートは「似てない」から

――多分違うと思います(笑)。どちらかと言うと、70年代のアングラ演劇に近いというか。

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ダンシング 10か月くらいやると、ショーパブ仲間からいろいろな情報が集まるようになって、「お笑い芸人を目指すには、お笑いライブに出なきゃいけない」ということがようやくわかりました(笑)。お笑いライブを目指しつつ、引き続き、ショーパブで人前に出る。渋谷の後は、 三軒茶屋にある「聖徳太子」というショーパブで働いていたんですけど、この頃になるとショーパブ歴も長くなっているので、ショーの構成も任されるようになりました。そのときの相方が、後に電撃ネットワークのメンバーとなる三五十五。

©︎細田忠/文藝春秋

「聖徳太子」は朝4時までやっていて、夜10時、夜中1時、3時と3回ショーがありました。当時はバブルですから、ショーパブなのにとんでもない金持ちが、レミーマルタンを入れたり、もう無茶苦茶。酔客も多いから、普通の漫才やコントをしてもステージを見てくれない。それで僕はおふざけのつもりで、「千の似てない声を持つ男」というキャラクターをやりだしたんです。だから、僕のものまねのスタートは、「似てない」から入っているんですよね(笑)。

次の記事に続く テレビ出演ゼロでも営業だけで月50万、同じ芸人を別の芸名でもう一度送り込むことも…モノマネ事務所社長・ダンシング☆谷村(64)が明かす、“邪道上等”なそっくりさん営業術

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。