『イカ天』後継番組で活躍も29歳でピン芸人に
――地下とはいえトップにいたわけですから、ダンシングさんはお笑い芸人として“売れる”可能性を秘めていたとも言えると思うのですが。
ダンシング 実際、『イカ天』(いかすバンド天国、TBS系)の後継番組として放送されていた『トンガリ編』のネタ見せ勝ち抜きコーナーでは、トーナメントで勝ち抜いていたんです。ところが、途中でコンビを解散しまして、急遽、僕一人で臨むも敗退。そのとき優勝したのが「バカルディ」、今の「さまぁ~ず」です。解散して、新しいコンビ「ガスパニック」を結成するもののうまくいかずに、29歳でピン芸人になってしまって。その後、都内のものまねパブでお笑い芸人ではなく、ものまね芸人としてスタートしました。
ダンシング☆谷村の誕生
――ここで、「千の似てない声を持つ男」のネタがいきることに?
ダンシング そうなんですよ。僕は声こそ似ていないけど、長年のショーパブで鍛えられたトークスキルがあった。だから、トーク7:ものまね3くらいの割合でショーを披露すれば盛り上がった。「これはいけるぞ」と思って、ふざけて谷村新司さんの格好して、鼻テープをしたりして、独自に工夫していった。それが後に、ダンシング☆谷村になるわけです。当時はテレビ東京の特番で『全日本そっくり大賞』という番組が放送されていたのですが、この番組のおかげもあって、そっくりものまね芸人さんに人気が出てきました。そっくりさんにも需要があるということで、僕も恩恵にあずかることができ、バイト生活から抜け出し、年間100本くらい営業をするまでになりました。
でも、こんなラッキーなことはもって1年だろうと。ところが、2年目も忙しいし、3年目も相変わらず仕事がある。当時はちょうどバブルが弾けたくらいで、イベントや営業をするにしても予算縮小の傾向にあったんですね。それまで人気ものまねタレントが回していたようなイベントは、ギャラが高いですから同じ人を使いづらくなった。コストを安く抑えつつ、それなりのクオリティは担保したい――そのブルーオーシャンに、僕たちやそっくりさんはハマった。


