アントニオ猪木が進めた事業「アントン・ハイセル」の巨額赤字に端を発し、選手・フロントを巻き込んで勃発した1983年の新日本プロレス・クーデター事件。血判状に名を連ねた反乱分子たちの思惑、望まぬ形で加入させられた「維新軍」での長州力との確執、そして今なお戻らない「300万円」の行方とは――。
宝島社の新刊『証言 アントニオ猪木 1983年新日本プロレス・クーデター事件』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目)
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あの時、もし日本にいたらクーデターに参加していた
谷津は83年10月に3度目の渡米修行へ。「トラ・ヤツ」のリングネームでダラスやフロリダ、ミッドサウスなど南部のテリトリーを転戦した。一方、新日本では選手、フロントそれぞれの不満が高まり、83年6月1日には長州力とアニマル浜口が記者会見を開き、新日本を辞めてフリーになると表明。その翌日の6月2日には、第1回IWGPリーグ決勝戦で猪木がハルク・ホーガンにKOされる「舌出し失神事件」が起こる。
「俺はその頃、テキサスあたりにいたと思うんだけど、猪木さんがホーガンにやられて失神したってニュースはすぐに入ってきたよ。その時、さすがだなというか、世間に対してすごいインパクトがあるなと思った。風車の理論で言えば、暴風を吹かせてでも話題にして、マイナスをプラスにしようってことでしょ。だって猪木さんは本当に救急車で運ばれて、入院してるんだからね」
その後、山本小鉄と新日本営業部長の大塚直樹を中心としたクーデターが勃発。83年8月24日付の「団結誓約書」という血判状には山本小鉄、藤波辰爾、吉田光雄(長州力)、木戸修、小林邦昭、小沢正志(キラー・カーン)、高橋輝夫(ミスター高橋)、柴田勝久、栗栖正伸、永源遙、そして営業部員の大塚直樹、安西光弘、弘中勝巳、吉田稔、加藤一良、伊藤正治、斎藤利洋、上井文彦の名前が連なっていた。
「カーンさんも血判状に名前を入れてるんだ。そうか、この時は日本で試合をしてたからね。まあ、俺もこの時に日本にいたら、血判状にサインしていたと思うし、したかった。やっぱりこれだけ集まってたら、そういう流れなんだろうなと思うし、みんな不満を持ってるなら、遅かれ早かれクーデターとか分裂というのは起こったんだろうなって」
