昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2018/10/16

9歳のとき、日本軍による強姦に遭った?

 いっぽう、私が後日に雷桂英について中国側の報道を調べたところ、2006年4月14日付けの新華社記事「南京77歳老人首次公開被迫当慰安婦経歴」を見つけることができた。新華社は中国の国営通信社で、内容は基本的に中国当局の公式見解だ。こちらでは、桂英の「抗日戦争の被害」は以下のようになっている。

<雷桂英老人は1929年生まれで、南京市区湯山鎮湯家村の人である。彼女が9歳のとき、不幸にして日本軍による強姦に遭い、13歳の年、彼女は騙されて当時の日本人が湯山鎮の高台坡に開いていた慰安所へゆくことになり、1年半にわたり強姦・折檻された後、ある日本人の不注意の機会を利用して脱走した>

<雷老人の紹介によると、当時の日本人の高台坡の慰安所には数10人の中国籍の慰安婦がおり、彼女はそのなかで最も年齢が低い1人だった。多くの17〜18歳の若い娘が日本の侵略者による代わるがわるの陵辱の後に出血多量となり生命を落とし、また(慰安婦の)何人かは直接的に日本軍によって残酷に殺害された>
http://news.sina.com.cn/c/2006-04-14/11258697181s.shtml

食い違う報道と証言

 一読しただけで、遺族の唐の話との食い違いが多い。例えば新華社記事では桂英は13歳から「騙されて」慰安婦にさせられたように読めるが、唐によれば彼女は当初は慰安所経営者の子守り係として雇用され、本人が慰安婦になったのは15歳からだ。

 また、新華社報道では桂英が慰安婦をやめた経緯について「日本人の不注意を利用して脱走」とするが、唐によると「日本の敗戦後に湯山鎮に帰った」とされる。なぜか桂英の出生年も、新華社の報道と遺族の唐の証言では1年ズレている。

 ほか、新華社が伝える「桂英は9歳で日本兵に強姦された」「ある慰安婦は代わるがわる陵辱されて出血多量で死亡した」「慰安婦の何人かは日本軍に直接殺害された」といった過激なエピソードは、唐からは聞かされていない話だ。

2015年に南京にできた慰安所陳列館にある慰安婦顔写真のオブジェ ©getty

足刺し事件の犯人は2人だった――さらに符合しない情報

 いっぽう、他の情報もある。2006年に中国人作家の方軍が生前の桂英にインタビューした際、彼女は方軍に足の傷を見せながら、その由来について以下のように話したとされる。

<13歳の年に、家に2人の日本人がやってきて、彼らは刀を抜きはらい私の顔の前でちらつかせ、一突きで殺してやると言いました。私は驚き呆然としました。彼は私の身体にのしかかり、私は力の限り彼を押し(返し)ました。あらがっているうちに二の腕をケガし、太腿の付け根を何度も刀で刺され、最後には強姦されました>
(「訪曾被日寇強擄為慰安婦的雷桂英老人」
『方軍 新浪博客』http://blog.sina.com.cn/s/blog_5ec5b67a0102whtj.html

 足刺し事件は慰安所ではなく自宅で起き、犯人は2人だという。また、強姦が未遂で終わって慰安所経営者の山本に病院へ連れて行ってもらったとする唐の証言とは違い、こちらでは最後まで強姦されたと話している。

 このインタビューで桂英は、はじめ慰安所の下働きだったが、数ヶ月で慰安婦にされたと語る。日本兵によって刀で頭を斬りつけられたことがあり、同僚の慰安婦が同様のケガで死亡したのを見た、慰安所で1年半働かされた後で機を見てトイレから脱走した――、ともいう。

 唐の話とも、新華社の記事とも符合しないことばかりだ。ちなみに方軍の取材では、桂英の生年は「1928年」になっている。