米中貿易戦争の先行きは不透明だが、近年の中国の目覚ましい台頭に異論を唱える人はほとんどいないだろう。国際社会における政治・経済のプレゼンスにおいて、いまや中国が完全に日本を追い抜いたことは客観的に見ても明らかだ。自動車やスマホなどの最新モデルの発売が、日本をすっ飛ばして中国市場をターゲットにされる例も増えてきている。

多くのスタートアップ企業が集まり、「中国のシリコンバレー」とも呼ばれる深圳 ©iStock.com

日本人が抱える「やるせなさ」

 いっぽう、日本人の多くは中国の「強さ」に、なんとなく割り切れない思いがある。中国経済崩壊論や、中国の統計は捏造されていて実はGDPが世界第3位に過ぎない……みたいな極論(いずれも学問的な裏付けはあまりない)が出版市場で人気を得ているのも、そうした心理が反映された部分があるのだろう。

 もちろん「右」の人たちが、戦前以来の中国蔑視意識と近年の排外主義がない混ぜになった極論をぶつ傾向はいまに始まった話でもない。だが、そうした感覚が薄い普通の一般市民にとっても、近年の中国は気に食わないことが多そうだ。

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 非民主的な専制体制を敷き、本質的な意味では自由も人権も法の支配も大して大事なものだとは思っていなそうな国が「強い」のは、とても不公平な話じゃないのか。仕事上で中国との縁が深い私自身も、こうしたやるせない思いは覚えなくもない。

中国的イノベーションの異質ぶり

 そう思いながら、最近刊行された梶谷懐『中国経済講義』(中公新書)を読んでいると、興味深いトピックを見つけた。同書の第6章で、近年の中国の「強さ」の一端でもあるイノベーションの進展と、それを生み出している都市・広東省深圳について詳しく掘り下げた分析がおこなわれていたからだ。

 そもそも、イノベーションがたくさん生まれる社会とはどういう社会だろうか? われわれの常識(西側社会における理想的な常識)に照らして言うなら、それは要するに「ちゃんとした社会」である。

 つまり、政策への説明責任を負う透明性の高い政府が存在して、柔軟性の高い発想力を生み出せるような言論の自由があり、知的財産権をはじめ人間のさまざまな社会的権利が保障されていて、平等かつ公平な法治がおこなわれている――、といった条件がしっかり整った社会ということだ。

タクシーでスマホ決済中(2017年6月、広東省広州にて) ©安田峰俊

 言うまでもなく、中国ではこうした要素はどれも薄い。ゆえに当然、欧米の主流派の経済学者たちは「ちゃんとした社会」からはほど遠い中国発のイノベーションの持続可能性について非常に懐疑的である(同書192P)。

 だが、現実の中国をある程度は知っている人であれば、「持続可能性がない」とバッサリ切り捨てることには抵抗感を覚えるだろう。政治の民主化や社会的権利がどうこうという難しい話はさておき、中国人のアグレッシブかつダイナミックすぎる姿を見ていれば、そこから新しいものが生まれてくるのもまあ納得できるかな……、と思わせるものはある。