過去に本サイトでも登場した中国・深圳のネトゲ廃人村や広州のアフリカ村への取材から、果ては大連のラブドール工場探訪記まで収録された、ルポライターの安田峰俊氏の著書『さいはての中国』が好調だ。同書の後半部分では、南京やカナダ・トロントの対日歴史問題追及運動の当事者にも切り込み、彼らの実態に迫っている。
今回は同書の第7章に登場する、南京の中国人元慰安婦遺族への取材部分を改稿して寄稿してもらった。日中両国の政治的意向と様々なプロパガンダの影に隠れた、虚実入り交じる証言の先にあるものとは――?
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養母が“慰安婦”だった
その家は中国江蘇省の農村の奥まった場所にあり、まことにみすぼらしかった。2015年末の江蘇省は底冷えがする。すでに日は落ちており、あたりはいっそう凄凄(せいせい)とした感じがあった。
やがて、家の奥から黒い帽子にジャンパー姿の歯並びの悪い男性が姿をあらわした。唐家国、当時58歳。南京市郊外にある、湯山鎮湯家村で暮らす農民だ。体つきは小柄で痩身だが、健康的な痩せかたではなく実年齢よりもかなり老けて見えた。
私はこのとき、小学館『SAPIO』の取材で南京市内に完成したばかり(当時)の慰安婦陳列館を訪れるため現地に来ており、事情をもっと深く知るために元慰安婦の「当事者」を名乗る人物やその関係者を探していた。
結果、見つかったのが唐である。彼の養母・雷桂英(2007年4月逝去)は、若いころに日本軍の慰安婦だったとされる人物だ。当時、中国全土で元慰安婦を名乗る女性は20人足らずしか生存しておらず、南京市付近で会えるのは遺族である唐だけだった。
共産党員の通訳を介しての取材
「雷桂英さんについて教えてください」
だが、唐に話しかけてすぐ、まともに会話が成り立たないことがわかった。文化大革命世代の農民である唐は標準中国語をほとんど話せず、現地の方言を喋るばかり。筆談を試みたが、文字の読み書きが苦手らしく埒が明かない。
やむを得ず、同行していた地元の共産党員に方言から標準語に通訳してもらう。彼は対日歴史問題の「調査」をおこなっている人物で、はっきり言って非常に政治的なバイアスがかかっているのだが、農村で慰安婦遺族を探すような取材ではこの手の相手に頼らざるを得ない。話に偏りがあるのは承知の上で、虚のなかに含まれる実を見つけるしかないのである。