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最大の疑問
最大の疑問は、なぜ中国空軍が敵国に向かう正体不明の飛行機を追跡・追撃しなかったのかという点だ。当時のレーダー網は十分に機能していたはずで、前記したように毛沢東は「成り行きに任せよ」と指示したとされる。が、本当に撃墜命令が出されなかったのか、または出されたが実行されなかったのかは不明。また一部では、飛行機に何らかの細工(燃料タンクの改ざんや機械的故障の誘発)が施された可能性も指摘されている。
調査過程での隠蔽工作の疑惑も根強い。中国政府が事件の詳細を公表したのは、事件から2年後の1973年8月。この間、軍上層部は大規模に粛清され、林彪の側近たちは逮捕・処刑されたが、公開された情報は極めて限定的だった。
林彪の娘・林立衡は、父がクーデターに積極的ではなかったことや、家族が強引に逃亡させられた可能性を証言しているが、この指摘は長らく公にされず、内部で抑え込まれていた。
モンゴル・ソ連合同調査で得られたブラックボックスや残骸の解析結果も、中国側にどのように伝えられ、どのように利用されたのかは不明である。ソ連が解析を依頼されたという記録はあるが、その内容が中国国内でどのように扱われたかは、公式記録にほとんど残っていない。