2021年に49歳という高齢で、第一子を出産した女優の小松みゆきさん。福島から上京後、大学在学中にグラビアデビューし「グラビアクイーン」として人気を集めたが、華やかな活動の一方で、給料は月3万円。さらに移籍先の事務所で、知らないうちにAV出演の契約を結ばれていたという。撮影現場から逃げ出した小松さんだったが、待っていたのは約1年間の逃亡生活だった。当時の知られざる苦境を聞いた。(全5回の1回目)
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近藤真彦さんに憧れて芸能界を目指す
――福島県いわき市のご出身ですね。ご実家はボウリング場を経営されていたそうですが。
小松みゆきさん(以下、小松) 父も今度80歳になりますが、「いわきゴールドレーン」というボウリング場を今も営業しています。私が3、4歳の頃には、プロボウラーの中山律子さんがいらして、一緒に投げさせてもらったこともあったそうです。
――子どもの頃から芸能界に憧れていたのでしょうか。
小松 近藤真彦さんが大好きでした。10歳か11歳の頃、映画『ハイティーン・ブギ』をお小遣いで7回ぐらい見に行って、お年玉も使い果たしました。地元にコンサートで来られたときには、親にお願いしてチケットを取ってもらいました。
――芸能界に入って近藤さん本人と会う機会はありましたか。
小松 一度だけ、ご挨拶したことがあります。「憧れて芸能界に入りました」とお伝えしたら、「ええ、やめときなよー」って笑ってくださって。ものすごく緊張して声が裏返ってしまいました。でも、ずっとファンだった気持ちが成就したような感覚になりましたね。
――芸能界に入りたいとはいつ頃から思っていたんですか。
小松 中学生の頃、新聞に「オーディション開催」という記事が載っていて、ハガキを書いて何度か応募しました。若い人向けの制汗剤のCMで、六本木まで父に連れていってもらい、二次審査ぐらいまで進みました。
――福島に住んでいた小松さんですが、東京にはよく来ていたそうですね。
小松 父も母ももともと東京の人で、夏休みや冬休みは妹と一緒に東京の親戚の家に預けられていたんです。ボウリング場は年末年始も休みなく営業していて、大みそかはオールナイト。海の近くにあったので、元日は初日の出を見に来るお客さんもくるんです。だから実家で年越しをしたことがないんですよ。ただ東京で過ごすのは楽しかったですね。
中学生になると、原宿や渋谷を歩くたびにスカウトに声をかけられました。でも、子どもながらに「本当にちゃんとした事務所なのかな」という警戒心もありました。
