「僕は『進め! 電波少年』とかの体当たりロケでウケましたけど、自分の原点と軸はモノマネなんです。すべては高校時代に始まりました」
松村邦洋さんは、ビートたけし、津川雅彦といった十八番のほか、現在は貴乃花、籠池泰典やパンダのシャンシャンといった旬なネタを取り込むモノマネで大人気を博している。その言葉からは今年迎えた「芸人生活30周年」の重みが伝わってくる。
「高校の頃は劣等生でした。2年生で留年が決まった後、勉強から逃げるようにして『オレたちひょうきん族』を見たり、憧れのビートたけしさんの『オールナイトニッポン』を聴いたり、好きな太平サブロー・シローさんの連載があった『月刊ビッグトゥモロウ』なんかを読み漁っていました。振り返ればあの時、お笑いに自分の居場所を見出したんだと思います。学校を辞めずに我慢したのは大きかったですね。人生の理不尽に耐える力は学んだ気がするし、なにより修学旅行も2回行けましたんで(笑)」
大学進学後、素人参加番組に応募する傍ら、テレビ西日本でアルバイトを続けた。そして88年、フジテレビ『一億人のテレビ夢列島』で福岡を訪れた片岡鶴太郎にスカウトされ、芸能界入り。
「大学を中退して上京したら、事務所が四谷に部屋を用意してくれました。僕からすればドラフト1位の好待遇。先輩にはダチョウ倶楽部さん、同期に爆笑問題さんがいて恵まれた青春時代でした。でも、デビューはしたけど右も左も分からない状態。だったら先輩に叱られながら間違ったところを直していけばいいやと決めて、『冗談画報』や『ものまね王座決定戦』に挑戦していました。営業も学園祭シーズンは月の頭から末までビッチリ連投してましたね」
オファーの来た仕事は拒まずに臨んできたが、30年間の芸人人生で2度、スランプに陥ったという。