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“失言の国会議員”杉村太蔵を救った飯島愛の「もういいじゃん」

薄口政治評論家・杉村太蔵さんインタビュー#2

 26歳という若さで国会議員に当選した杉村さん。その直後「早く料亭に行きたい」「BMWに乗りたい」という自由奔放な発言が報道され、連日の大バッシングを受ける。そんなとき、ふと見ていた“あの番組”で飯島愛さんがかけてくれた一言が今でも忘れられないのだそうだ。(全3回の2回目/#1#3も公開中)

杉村太蔵さん

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「たまたま自民党のホームページを見た」の真相

―― 杉村さんが議員に立候補する少し前から、小泉純一郎さんのブームになります。それはテレビで見ていたんですか?

杉村 見ていました。橋本龍太郎さんを破って、「私が自民党をぶっ壊す!」と。

―― それで実際に政治家を志すことになるわけですが、たまたま仕事で自民党のホームページを見て公募を見つけて……、という成り行きだったと。

杉村 郵政解散があって、自民党の公募に応募したんですけどね。たまたま見つけたと言ったってふつうは応募しないですからね。やっぱり潜在的に政治家になりたいという気持ちはあったんだろうなという気がします。いま振り返ると。

 

―― 議員に当選されて、「小泉チルドレン」としてすごく注目されて、すぐにテレビから取材とか来たと思うんですけど、そのときに印象的だったことは?

杉村 ほんとに小さいデジタルカメラで撮って、それがすぐ全国放送になるという、あれはびっくりしましたね。

ワンルーム15万円のマンションに殺到したマスコミ

―― その頃は、赤羽橋のマンションに住んでいたんですよね。

杉村 そうです。芝公園の前。外資の証券会社に入って、それまでは市川に住んでいたんですけど、オフィスの近くに引っ越しました。家賃は14、5万だったかな。ワンルーム、コンクリートの打ちっぱなしで、テラスがあって。24、5歳で、一番楽しかった時期です。すべてがうまくハマり始めて、今まで誰も評価してくれなかったのに、急にみんながおまえ、すげえなと言ってくれましたからね。

―― 当選後、そのマンションにマスコミが殺到して……

杉村 そうそう。バーッと来ました。僕はニート・フリーター対策に力を入れたいと言ってたんですけど、自分がニートだとは言ってないんですよ(笑)。どうもね、ニートが国会議員になったというふうに、最初メディアは誤解してたんです。それで取材に来たら、なんか芝公園の、コンクリート打ちっぱなしの、超オシャレなところに住みやがって。しかも証券マンだと。これが四畳半とかだったら絵になるのになって。記者の「惜しい」という言葉をすごく覚えていますよ。