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しかし「市民の公」の良い時代は長く続かなかった

 ハーバーマスには『公共性の構造転換』といういまや古典となった名著があって、この本では市民的公共性がコーヒーハウスなどによって実現したということが書かれている。王様や貴族の「公」に対抗する市民(ブルジョワジー)がつくる「公」だから「市民的公共性」、つまり「市民」の「公」である。

 でもその「市民の公」の良い時代は長く続かない。19世紀になってさらに下層の労働者が政治に参加するようになり、新聞などのマスコミが力をもつようになると、プロパガンダや広告宣伝などによって市民の公はゆがめられるようになってしまう。自律的で平等でオープンな議論という機能が、だんだんと奪われていってしまう。ハーバーマスはそう指摘した。

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 ただ、ハーバーマスの本の議論には、批判も多い。その中でも中心的なのは、ハーバーマスのいう「市民」ってしょせんはブルジョワジー=資本家のことじゃないか、というものだ。

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 ここで『公共性の構造転換』の刊行時期を見ておく必要がある。この本が出たのは1962年。この後しばらくして、1960年代末になると世界中で学生運動の嵐が吹き荒れるようになる。そして1970年代に入るとこの運動の流れの中から、環境保護運動やフェミニズムなど新しい社会運動が広がった。ハーバーマスの本ではこういう流れは予想できなかった。

 それでハーバーマスはどうしたかというと、公共性の構造転換』の新版が1990年に出た時に新しい序文を書いて、いったんは衰退した市民の公が新しい社会運動とともに復活してきているということを説明したのだった。大きな公の場所が衰退はしているけれど、福祉や教育、医療などさまざまな分野で公の議論をする社会運動が生まれてきて、そういうたくさんの運動のゆるやかなネットワークという新たな市民の公ができてきている。ハーバーマスはそういうようなことを書いた。

 さて、これで歴史のおさらいは終わり。ここから先が、21世紀のいまの話である。