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なんでも食べちゃう2人が語る「ほんとうにスゴい辺境メシ」

辺境ノンフィクション作家・高野秀行×発酵デザイナー・小倉ヒラク

高野 ホンオの話に戻るけど、実は起源がよく分からないんだよね。ヘンな食べものは、たいてい環境の厳しい制約から生まれます。例えば広島県三次(みよし)市で「ワニ(鮫)」を食べるのは、海が遠くて昔は生魚が手に入らなかったから。ワニ肉は時間が経つとアンモニアが発生して腐敗菌を寄せ付けないから保存が利き、1週間前の肉でも生食できる。ホンオも同じ理由かと思っていたけど、本場の木浦(モッポ)市は港町で、他の魚が幾らでも手に入るんだよ。だからホンオを無理して食べなきゃいけないわけじゃない。

高野秀行氏 ©末永裕樹/文藝春秋

小倉 廃(すた)れてもおかしくないホンオのように、美味とは程遠いものがごちそうとして食べ続けられているのは不思議ですよね。

超くさいチーズやくさやが「うまい」に変わる

高野 きっと何回か食べると病みつきになる感覚があるんでしょう。「臭い」「嫌だ」という不快感が、どこかで「おいしい」「うまい」に変わるんだろうね。新島のくさや、超くさいチーズなど発酵食品にはそういうものが多いよね。

小倉 人間の味覚には体に入れるべきか否かを判断するために生来備わっているフィジカルなものと、文化的な習慣や情報によって変わるバーチャルなものが入り混じっていると思います。強烈なにおいを伴う発酵食品を人間が「おいしい」と思えるのは、フィジカルな味覚だけでは説明できない。うまいはずがないものを「うまい」に変える人間独特の遊びの結果なのではないでしょうか。

高野 僕はヘンな食べものには2種類あると思っている。1つ目はさっきも言ったけど、環境の制約によって食べざるをえなかったもの。2つ目はなぜか知らないけど、その土地の人たちがそれを強烈に食べたかったというもの。

小倉 中華料理の「牛のペニスの煮込み」なんかは「遊び」や「好奇心」から生まれた気がします。

 高野さんはひたすらヘンな食べものを体験されてきて、人間の味覚についての考え方は変わりましたか?

味覚の可動領域の広がり

高野 味覚は広がるんですよ。味覚を縛っている観念が壊されるとグーンと限界を超えて広がる感じ。僕はそれを「味覚の可動領域が広がる」と表現している。

小倉 新島のくさやは、まさに島の人々が味覚と嗅覚の可動領域を拡げていった結果、生まれたようです。くさやの老舗「菊孫商店」の旦那さんが、「くさやは一朝一夕でできたものではない。ある日突如くさやという食べ物ができていたらきっと捨てていた。何10年もかかって段々くさくなっていったから、人間も段々慣れていったのでしょう」と言っていました(笑)。

©末永裕樹/文藝春秋

高野 うまいこと言うね。ヘンな食べものは「なぜ食べようと思ったのか」と現地の人に尋ねても、謎だらけなんだよ。エリートの意識は欧米に向いていて、伝統食は時代遅れで不衛生な食べものと認識されている。外国の研究者は伝統食をどう評価すべきか分からなくて放置している。ヘンな食べものは現代に残された未知の領域ですよ。

出会うのが難しい日常食のヘンな食べ物

小倉 日本には味噌、醤油などの発酵食品がありますが、メジャーなもの以外は全く研究されていません。実は柴漬けにどんな微生物がいるのかも分かっていない。これって日本文化の巨大なフロンティアですよね。なぜ今まで研究されてこなかったんですかね。

高野 日常の食べものが軽視されていたからでしょう。それにヘンな食べもの目当てで辺境を訪れても外部の人間には、おいしいと言ってもらえそうな普遍性のあるごちそうを出します。その裏にある日常食に出会うのは難易度が高いんですよ。

小倉 高野さんは食べものというよりも、クスリに近いものにも果敢に挑戦されていますよね。『辺境メシ』には、そのトリップ体験が克明に記録されています。

高野 ヒラク君はそういう経験ある?