いかにも得体の知れぬものが跋扈しそうな「逢魔が時」は、ノルウェーにもあるのかどうか。入り組んだ海辺の地形フィヨルドの夕暮れどき、空に異様な赤みが差して、尋常でないことが起こりそうな気配に満ち満ちている。

《叫び》1910年?

 案の定だ。突如として景色が歪み、どこからか耳をつんざく叫びが聴こえてきて、一帯を覆い尽くしてしまう。いっこうに止まない恐るべき音におののいて、道を歩いていた人物は必死に耳を覆う。だが、もう遅い。誰のものともつかぬ叫びはすでにその人物の脳の中枢にまで至り、完全に感情を支配してしまっている。目を見開き我を失った表情から、それはよく知れるのだった。

 美術史上で最もよく知られるイメージのひとつ、ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクの《叫び》である。幾枚も描かれた中の1枚が、来日している。これが観られるのは、東京上野・東京都美術館での「ムンク展―共鳴する魂の叫び」だ。

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人の感情という「目には見えないもの」を描いた

 ムンクは生誕地のノルウェーで、19世紀末に画業を始めた。その後は半世紀ものあいだ描き続け、数多くの作品を残した。ただし、扱うテーマはかなり絞り込んであった。彼が描き出そうとしたのは、具体的な事象というよりは、人が抱く感情とその効果だった。喜んだり悲しんだり、興奮したり恨んだりと人が心を動かしたとき、それによって知覚はどう変化するのか。そのさまを表現したかったのだ。

 言われてみればたしかに、気分やコンディションによって、この世界の見え方なんてガラリと変わってしまう。何かいいことがあれば世界は一気に薔薇色に輝くし、ショックな経験のあとは何を見ても灰色になるのは、誰しも経験済みだろう。

エドヴァルド・ムンク《二人、孤独な人たち》1933-35年

 それゆえムンクの絵画は、それぞれの作品があるひとつの雰囲気をまとう。孤独感やメランコリー、覚醒、などなど。とくに画業の前半のころは、不安や絶望など負の感情がついて回ることが多く、その極みこそ《叫び》だった。