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何かしない限り、お寺は生き残れない時代

――檀家さんが減っていたり、葬儀が簡素化したり、お寺業界全体が大きな課題に直面している時期かと思います。

朝倉 いま、各本山、各宗派でそれを真剣に考えている段階にきています。今まで通りで何とかやってこれた時代が完全に終焉を迎えていて、何かしない限りはもうお寺として存在できない状況にきていますので。もしかしたら、仏教全体が鎌倉期以降最大の転換期にきているのかもしれません。

 

 そのことによって嬉しいのは、20代、30代の若い僧侶たちがすごく一生懸命にこれからの仏教のことを考えていることです。逆境だからこそ生まれることもたくさんあって、たとえば、お坊さんと日常的な接点を持てる「寺カフェ」なんかはいつかやってみたいですね。

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――たしかに近所に「寺カフェ」があったら、仏教を身近に感じることができそうです。

朝倉 ほかにも、宗派を超えた超宗派の活動も、いろいろなところで活発になってきているんですよ。昔だったら考えられないことです。

 宗派同士の違いをつつき合うのではなくて、共通してできる話に向き合おうとすると、必然的に、お釈迦さんのストレートな話に戻っていくんですよね。そういうことも、すごくいい傾向だと僕は思っていて。

――朝倉さんご自身も、「超宗派」の活動はされますか?

朝倉 実は、先日、東京国立博物館の「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」展のイベントで「テクノ法要」を披露させていただいたのですが、大報恩寺様は真言宗のお寺なんですね。

――照恩寺さんは浄土真宗、ということは……。

朝倉 大報恩寺様の菊入住職の声を録音させていただいて、それにトラックをつけさせていただきました。普段は僕が真言宗のおつとめをさせていただくことはないので、まさに超宗派です(笑)。

「葬式仏教」は必ずしも悪いことではない

――日本の仏教はお葬式のときだけ必要とされる「葬式仏教」だ、と言われることもあります。

朝倉 基本的には否定的な文脈で使われる言葉ですよね。僕も、若い頃は「葬式仏教」って言葉がすごく嫌いだったんですが、「お坊さんとして、仏教の教えを伝えたい」と本当に思えたのは、お葬式がきっかけだったんですよ。

 

 僕の場合、「いくら悩んだって、死んだときはちゃんと仏さんにしてくれるよ」という仏教の教えが、ずっとどこか信じきれなかったんです。でも、近しい人が亡くなったときに、「ああ、本当だな」って思える瞬間があった。

 たとえば、おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなったとき、亡骸のところにこう、手を合わせちゃうじゃないですか。

 誰に何か言われなくても、生きている私に自然に合掌させる力がある。そんなときに「あっ、これってもしかして、本当に仏になってるな」って。誘いをいただく存在になっている。

――思わず手を合わせてしまう存在になられることが、何よりもの証拠、と。

朝倉 そうです。今は、亡くなった方をご縁に、仏の教えに出会う、触れる、というのも、すごく大事なことなんだなと改めて認識しています。亡くなった方に誘われて、僕らがお念仏したり、合掌礼拝したりね。

 ですから、亡くなった方をご縁としてつとめる法要も大切にしつつ、今後も「テクノ法要」など、仏教の裾野を広げる活動を楽しく、真面目に続けていきたいですね。

写真=鈴木七絵/文藝春秋