毎日、父が描いた『宿題の絵日記帳』
――『宿題の絵日記帳』という父・信吾さんの著書は、麗さんが口話式(口の形から言葉を読み取り、その口の形をまねることで言葉を発するコミュニケーション方法)の聾話学校に通われていた時の学校からの課題として、その日起きたことを信吾さんがスケッチしたもので、「家族しか知らないのはもったいない」ということで出版されたんですよね。
今井 本の編集を通じて、聾話学校の先生に話を聞く機会があったのですが、「昨日はおうちでどんなことをしましたか」などと、先生が子供たちに色々質問するのではなくて、子供たちの方から、「先生、昨日はこんなことがあったんだよ」みたいな感じで、自分で話したくて仕方がないという風になるように教えていました、ということをおっしゃっていました。絵日記帳は、先生と子供が会話の練習をする補助のために出された、親への宿題だったんですね。私は、少しずつゆっくりではあったでしょうけど、言葉を獲得して、話せるようになって。
――今井さんのホームページでは、2008年からこの10年の作品を観ることができますが、一貫して、身近なモチーフを描かれている作品が多いですね。
今井 たぶんそういう意味で、目の前にあるものしか描けない、信じられないということは、絶対関係していると思っています。もし耳がよかったら、音楽を聴いて、その音楽のイメージで絵を描いたりするのかなと思うことがあります。私には、それが全くないし。むしろ補聴器を切って、何もない中で絵を描くと、すごく集中できる。
――日常生活でも、補聴器をオン・オフしながら。
今井 はい。子供たちとお風呂に入るんですけど、シャワーの音も、水をかける音も全く聞こえないんですよ。だから話しかけられたら口を見て読み取るしかない。一度、美容院で耳に水がかからないような防水キャップを付けて、補聴器をしたままシャンプーをしてもらったことがあるんです。シャワーの音は、とてもうるさいものなんですね。「こんなにうるさいのか」とびっくりしました(笑)。家族で海水浴に行く時は、水に濡れて壊れないように、補聴器を外して海に入るんですけど、すごく気持ちいいです。無音の状態で、海に入るのは怖いですけどね。すごくきれいです、本当に。
――街中では、外界の音をシャットアウトするように、イヤホンを付けている人がたくさんいます。
今井 ああ、でも音楽を聴くのも好きですよ。音楽をかけて、絵を描いたりしてます。
――どんな風に聴こえるものですか?
今井 クラシックのようなメロディーが複雑な音楽は全く分からないけど、昔のオールディーズや歌謡曲なんかは、心地よく響いてきて、好きでかけてます。メロディーは分からないんだけど、音の高低は分かる。私の場合は、生まれつきこういう聞こえで育っているから、言葉で説明するのがとても難しいんですけどね。
補聴器を切って「音のない世界」に入ることができる
――『宿題の絵日記帳』に、今井さんも「音のない世界」という文章を寄せられています。桜の美しさを感じる描写がすごく印象的でした。
今井 無音の世界は美しいですよ。例えば、桜の季節って上野公園なんかもそうですけど、宴会を開いていてうるさいじゃないですか、ワーワー盛り上がって。でも私は、補聴器を切って、音のない世界に入ることができる。すると、桜の花びらが散っている様子がスローモーションみたいに見えるんです。
――話すことと、書くことには大きな違いがありますか?
今井 私は明るい性格だから、人と話す時は明るくしゃべるんですが、どうしても書くことになると大真面目になってしまうんですよね。フランクに書けない。文章にすると、自分の中の暗い部分が出てきてしまいます。普段人には言わない、暗い悩みを書いてしまって。書いているうちに、自分でも気づかなかった心の奥底の思いが、あふれてくるような体験で、苦しかったけど頑張りました。